【狭山事件公判調書第二審3696丁〜】
鑑定人=上田政雄(京都大学教授・医学博士)
(B)死剛(注:1)、死後の角膜混濁腐敗ガスによる腸管膨隆等死後変化と死亡時期との関係に対する批判
①死剛は足関節に認められるのみと鑑定資料(イ)には記載されているが、このことは死剛が他の関節において緩み、足関節にのみなお存しているとのみは解釈できない。それは鑑定資料(ハ)の現場写真三十八、三十九、四十三、四十五号に写されているような着衣を脱がせる必要があるからでこの場合には各関節で折り曲げて死剛をとり軟かにする以外には方法がない。勿論着衣を切断したり等する時には容易に着衣を脱がせることが出来るが着衣の写真は切断した様な像を示しておらない。死体解剖を行なった時は鑑定資料(イ)の如く水洗いしてきれいになった死体を扱ったと記載されているから解剖鑑定人の知らない間に死剛を緩め衣服を脱がせる作業がなされたと見るべきである。足関節にのみ死剛を認め他の関節においては死剛が緩んでいたと記載されているがこのことは死剛の時間的経過に伴う寛解を意味するものではなく前述の事情により特に上肢においては緩められているということも充分に考慮すべきで本件の場合の如きは正に好適例と思われる。但し下肢関節は着衣を脱がせる場合に死剛を緩める危険性は少ないと考える。
②本件では死体が土中より発見されたことも重要なことである。この場合、棺に入れて死体を土葬しているのではなく、直接土中に埋めたのであるから土の圧迫が一様に死体に加わりある特定の体位を取ったり上下下肢の屈曲状態が一定の体位より変化していないことがあり得るわけで死剛の強度も普通条件の時とはかなり異なると思われる。
③本件死体の角膜は微細濁と記されているがこの程度の角膜の混濁では死後時間が如何に進んだと考えても空中では一日以下の腐敗程度である。しかし眼球緊満度が落ちている所見は相当腐敗が進んでいる如き感を与える。
④左鼻腔内に赤色液を認め、右鼻腔内にも微黄褐色粘稠液が少量認められるという所見(鑑定資料"イ"記載)や胸腔内の液が濃赤色液少量に変じ或いは心嚢内の液が微赤-淡黄色に変じている記載(鑑定資料"イ"-18胸腔開検、19心嚢の項記載)等の所見は死後一日以上二日ぐらい経った死体であることを物語るであろう。なお心内膜の色や腎臓、膵臓、脳などはやや軟であるが、あまり溶血現象を示しておらず又、肺動脈や大動脈内面が腱様滑沢かつ蒼白を示している所見等はやはり一日から二日くらいの死後経過時間が考えられるわけである。
この様に見ると本件の死体は地上にあったとすると一日以上二日以内の死体と断定されるべき死体であり最初に述べた死斑所見(特に顔面部)とを考慮してもやはり一日ないし二日くらいの死体であろう。これは地上で死亡しそのまま放置されたとしての標準であり死体が土中にある時の標準ではなくこの場合には著しくその環境条件に左右されることは言うまでもない。
⑤私は関東平野の畑地の地中約一米の部分における温度変化については全く経験したことがない。而し京都近辺に於ける地中一米の部位で五月頃には摂氏十六〜十七度の比較的恒温にあることから考えて本件の場合も一応の推定を下すわけである。
⑥本件の腹部の平坦化している状態や下腹部の腐敗変色のない点、顔面部以外の部分での死斑の状態とを考慮すると摂氏十六〜十七度の恒温と酸素欠乏の状態とが地中に埋もっている死体に作用し且つ土中に於ける圧力が死体変化を左右したと考えるべきであろう。そして腐敗が進むより体内酵素により自己融解が先に進行したと考えるべきである。
⑦本死体がこのような特異な死後変化の形態をとっているということはあくまで本死体が土中から発見されたという事情が考慮されねばならない。死剛が足関節だけに認められた理由については私はこれのみで時間を二〜三日と考えるのは早計にすぎることは上述したが、もし死剛の条件をぬくと考えると死体が新鮮であるという条件が大部分で死体が古いのではと思える材料が単に臓器が軟であり死体には既に一部において腐敗現象として最も早く現われる溶血現象が少し現われておるに過ぎず、土中にあるという条件を考慮しなくてはこの特異な死体現象の説明はつかない。
私はこれらの死体現象の他に後述する胃内容の消化程度を考慮し、土中にあったということも考慮して、まず死後三日くらいであろうと推定するが、これは経験的な大体の総括的判定で詳細に類似例を見較べてのものではないことを附言する。もしこの点が問題となるならばもっと実験的な成績や類似例を詳細に調べることは行なうであろう。
注:1「死剛(しごう)」死後硬直とも呼ばれ、死後変化の一つとしてあげられる現象。
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○次回『(C)窒息死の症状についての批判』へ続く。
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ところで、一九六三年七月三日付『朝日新聞』埼玉版には、「警官エキストラで・ロケさながらの検証」という見出しで、石川一雄氏の自供に基づく実地検証が七月四日午前十一時すぎから浦和地検の滝沢弘検事、特捜本部の青木一夫・諏訪部正司両警部らの指揮でおこなわれたことを報道している。そのなかで、「死体をつるしたイモ穴が調べられた。警官がナワで体をしばられて穴につり下げられ、普通の男の力で引上げられるかどうかなどが調べられた」と書かれている。また、「八ミリ映写機で撮影するなど映画のロケーションさながらの検証」とも書かれている。なお、この「つり下げ実験」の模様を撮影した八ミリフィルムは存在するという。
さて、この実地検証の記録および八ミリフィルムは現在、どこに、どのように保管されているのだろうか。