アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 384

【公判調書1377丁〜】(前回に引き続き実況見分調書の引用)

3. 中川ゑみ子の元居宅南側には隣家椎名稔方の居宅がある。同所との境界線には、西南方角に打ち込まれている直径七糎の杉角材から、東南方角までの間に前記同様杭が八本まばらに打ち込んであり、この杭には何も張っていなかった。杭の長さ、六〇糎から七十五糎であり直径四糎内外のものであった。ここの境界線は東の端から西の端まで、九.七〇米であった。この境界線のそばで、しかも宅地の南東隅には、直径約一.三〇米、深さ一.〇〇米の掘りっぱなしの下水溜があり、ここへ「ゴミ」が捨ててあった。この下水溜から西方部境界線にかけて花壇があり、花壇には「バラ」「菊」などの花草が数本点在していたが、何ら囲いはしていなかった。

この時、本職は、立会人中川ゑみ子に対し、被害にかかった荒縄はどのような縄で、何時、何処から何処までの杭にどのように張ったかを説明を求めた。立会人中川ゑみ子は、「椎名稔方は当時建築中であり、建物の中へ自由に出入りが出来、まだ床板も張ってなかった。建物の中にも材木を縛ったと思われる荒縄が散っていた。建物の西側には砂利や砂が積んであった。その西側のとうもろこし畑の北側空き地に、材木もかなり積んであった。この材木の北脇にも一度何かに使った荒縄(数量若干)があった。この建物の西側の境界線の南の端から北の端まで張ってあった荒縄と、建物の中に散ってあった荒縄とを、今年四月十日ごろ取って来て、その荒縄で現在の椎名稔方との境界線に母親(斉藤のぶ六十才)と一緒に張った。荒縄を張った方法は、

(一) 建築中の西側に張ってあった荒縄を使い、南西方角の杭の上段にひと巻きして縛り、次は同じような高さに次々の杭にひと巻きずつ巻いて張り、七本目の杭まで巻いたが、そこで縄が足らないのでつなぎ、東の端の杭まで行き、ここでふた巻き巻き付けて縄を切った。

(二)次に東の端の杭の下段にひと巻きして縛り、つぎに同じ高さに次々と杭にひと巻きまいては張り、五本目の杭を巻き付けてたところで荒縄が足らないので、そこで細い針金に縛って西の端の杭まで張った。針金をつないだ場所は「バラ」の木の所であった。荒縄の長さは、上段に張ったものが十米位。下段に張ったものが七米位であり、上段は太かったが、下段のものは幾分細かったが、両方の荒縄は、普通大人が引っ張った程度では切れるものではない」と申し立てていた。(以下、次回に続く)

*たかが荒縄一本とは言え、それが事件に関わると分かった場合、これ程まで詳細な実況見分を行うとは知らなかった。そして、今引用している実況見分調書は、日本語の文章技術という面から見た場合、とりあえず合格であろう。理由は、今それを読んでも分かりやすく、現場の状況が、具体的に頭に浮かぶからである。

二点の写真は狭山事件資料より転載、