アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 1193

(①遺体の逆さ吊りという作業を狭山事件再審弁護団が再現実験している。それによると足首には百キロ以上の力が加わる上に細引紐が食い込み、その痕跡は鮮明に残ることか判明した)

狭山事件公判調書第二審3692丁〜】

(A)死斑又は皮色に主に関係する事項に対する批判②

(イ)体前面では顔面部前頸部胸骨上縁附近から左右上腕部上部までの前胸部上部や右腋下部から右乳の右下部に死斑が最も強く赤紫色から赤褐色に出ている。

(ロ)左乳の左下部や両乳間の部、左右上肢前面、左右側腹部、左右大腿外側下部、左右膝部上部等には中等度の前者よりはるかに弱い死斑が認められる。

(ハ)右下腿、右側足背部、左右大腿内側にはごく薄い淡紫赤色の死斑が出ている。尚左右足関節の上部皮膚には特に蒼白となっている部分も又暗色を帯びた部分も見られず死斑の強い部分も認められない。

(ニ)左右手関節の手背面では蒼白な比較的巾の広い部分を認める。

(ホ)体背面では頂部は赤褐色に強く変色しているが前胸部上部や前頸部の変色ほどではない。頂部の変色は背部の白な皮膚の部分とは比較的明瞭に区別されている。

(へ)他の背部死斑は比較的弱くわずかに右腰部背面に中程度の死斑が出ているのみであり脊柱部左右や左右肩部側縁、左右側胸部、腰部背面正中、左右臀部間部、左右大腿背面上部等にはごくうすい淡紫赤色の死斑が見られる。尚右側面は左側面よりもやや死斑は濃い様である。

(ト)左上肢背面手関節部にはその部を半周するごく細い帯状部が認められるその上部には灰色をした暗色を帯びた皮膚が見られる。右上肢背面手関節部にはその部を半周する蒼白な皮膚が見られその上下部に暗色を帯びた皮膚が細く区切っている。

(チ)右下腿下部背面には内踝の七〜八センチ上部から末梢皮膚がやや暗色を帯びたように見え左も同様である。

(リ)左右足背部末梢の皮膚は靴の上縁と一致して暗色を帯びた部分が見られる。

⑩鑑定資料(ハ)現場写真二十五、三十、三十一号を見るに左右上肢は腕関節の部において五十嵐米穀店の名前入りの日本手拭いによって左右各々が縊(くく)られしかもかなり強く縊られているようである。また左手手首の部分には白ブラウスの袖口の所がボタンかスナップにより締め付けられて止められているのが見えその下側の皮膚は蒼白である。手拭いを巻いていた部分は手背面では上記の暗色を帯びた帯状の皮膚となっていることは既に述べた通りである。

⑪体前後面を臍の上部四〜五センチの位置において腰部を一周する蒼白な帯状部が認められるが、この部分はペチコートの上縁の紐の部分に当たっていると思われる。

⑫左右両手首の皮膚圧迫部より末梢にある死斑やペチコートのゴムによる蒼白部の末梢側がそれらの中枢側の死斑より濃いという様な所見は認めなかった。

⑬解剖開始まで被害者の死体は目隠しをされた状態になっていたことが鑑定資料(ハ)現場写真二十四号等により明らかであり後頭部髪際部において一重に結紮(けっさつ)されているがこの目隠しのタオルはゆるく締められているに過ぎない。従ってタオルを取った後の皮膚は最初の間は蒼白であるが間もなく他の顔面部の皮膚とかなり似通った像を呈している。この様に解剖時比較的短時間に溶血現象が他の部に及ぶことはしばしば経験する所見である。

⑭顔面部、頭部、前胸部上部を除いた部分の死斑は比較的少なく地上における死体現象と考えると一二時間前後ぐらいの死後経過時間が考えられる。これは深さ六十二センチの土中に埋められていたためで土中における土の圧力が体全体にかかるためと土中において酸素欠乏が生じ腐敗が遅れることと、比較的低温度のため腐敗があまり認められない等の理由が相より前記の様な死後経過時間の著しく少ない状態に陥ったものと思われる。

⑮土中に埋められていた間は死体はうつ伏せに置かれていたが、掘り出されてからはうつ伏せか仰向きかは明確に鑑定資料(ハ)の中にも記載がない。現場写真十八、十九、二十号ではうつ伏せになっており、二十一、二十二、二十三号では仰向きになっている。この様な位置の変化も死斑の状況を考える上においてかなり重要なことであり注意すべきである。

⑯両足にはソックスを履き黒皮短靴を履いているが靴の上縁が当たる所の皮膚はやや変色した弧状の線となっている。またソックスのゴムの部分と思われる部の下の皮膚はわずかに暗色を帯びた様に見える。しかしこれらの微細な変化を除くと両足首の部分には細引き紐が強く圧迫したと思われる何らの痕跡も残っていない。

⑰死後すぐより二、三時間の間死体を逆さ吊りにした痕跡は以上の死斑の出現状態から全く考えうる所見が見られない。しかし死後すぐから二、三時間の間はまだ死斑が血管内部のみにあり体位の移動によって容易に位置を変えると言われている。このことのため逆さ吊りして以後死体をうつ伏せにして放置した場合には逆さ吊りにした所見が何も見られないことがあっても格別不思議ではなかろう。しかし三時間も経つと詳細に見た場合には逆さ吊りという非常に特異な状況であるため何か普通ではない状態が見られると思われる。ところが本件においては全く死斑の状況はうつ伏せになって埋められていたに相応しい所見であり、埋める前に逆さ吊りにした所見を思わせる何物も認められない。従って逆さ吊りにしたということを全く否定することはできないが、まずそのことは死斑の状況からは考え難いことである。

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○以上が『(A)死斑又は皮色に主に関係する事項に対する批判』であり、次回は『(B)死剛、死後の角膜混濁腐敗ガスによる腸管膨隆等死後変化と死亡時期との関係に対する批判』へと移る。

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②こちらも狭山事件再審弁護団による再現実験。

③同じく再現実験。この実験は被害者と同じ重さである五十四キログラムの人形や、生きた人間を死体役にして行なわれた。①②③の写真は"無実の獄25年・狭山事件写真集=部落解放同盟中央本部中央狭山闘争本部・編、解放出版社"より引用。