アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 215

拙ブログ 212で触れた、弁護人から取調請求のあった証人・飯野源治に、予定通り昭和四十三年八月二十日に公判廷において尋問が行われた。【第二五回公判調書(供述)  氏名・飯野源治、職業・警察官、年令・三九才】昭和三十八年七月二日午前、狭山警察署捜査課、階級が巡査である飯野源治は、狭山市堀兼に設置された捜査本部にいたところ、田中(狭山市内の地名)の駐在所から「時計らしい物を見たという人が届け出て来た」との連絡を受け、バイクで現場に急行した。この指示を誰から受けたかについては飯野源治本人が失念している。田中の駐在所に着いた飯野源治は、発見者である小川松五郎に現場へ案内させ、実況見分するまで場所を確保する処置を取った。この時、駐在所の人間も同行しているが、捜査本部員としては飯野源治が一番先に時計発見現場へ到着していた。見分者が到着するまでの間、飯野源治は小川松五郎から事情を聞きながら、現場には手を触れず目視で時計発見場所を確認、混み合った茶株の隙間に時計の止め金が見えた。そこから五〜十センチ横には泥の付着した古いビニール片が落葉にやや埋もれ、道から見ると若干時計を邪魔しているような状態で存在した。発見者の小川松五郎は飯野源治に「もし、偽物を探して警察に届けて騒がせては申し訳ない。一応本物であるかどうか指でつまんで確認した、そうしたら本物なのでこれは被害品だろうということで、そのままの状態に置いて駐在所へ届けた」と申し立てた。しばらくすると見分者の小島警部が現場へ到着した。(続く)                                         

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(写真は『無実の獄25年』狭山事件写真集・部落解放同盟中央本部中央狭山闘争本部編・解放出版社より引用)