アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 461

【公判調書1566丁〜】(前回より続く)

                         「狭山事件の特質」

                                                                          中田直人

8.『その間警察は、佐野屋の東南方数百米に当たる狭山市堀兼四七五番地の二、養豚業石田一義方の東南東百米にある権現橋から不老川に沿って約五十米進んだ地点にある石田一義所有の豚小屋でスコップ一丁が無くなっている旨の情報を得ており、これについて五月六日附被害上申書が作成されている。この聞込みは同時に、豚小屋には番犬がいて知らない者が近づくと吠え、石田方で放し飼いしている他の犬も同所に駆けつけるという聞込みをもたらしていたと伝えられ、この番犬に慣れていない者は容易に近づけないという判断を与えていたものの様で、この頃から警察は、石田一義方にスコップのあることを知っており、これに近づき得る者、従ってその家族、使用人、出入りの養豚業者を中心に捜査を進めることとなった。                      五月十一日午後五時二十分頃、入間川東里二九二七番地先・小麦畑(須田ぎん所有、死体発見現場の西北約一二四米の地点)からスコップ一丁が発見された。なお、その麦畑の北方から地下足袋地下足袋の足跡が採取されている。将田政二証言によれば、この足跡は鑑定不能ということで気にも止めず、足跡自体をその後廃棄処分にしたということである。                                 発見されたスコップは警察によって石田方盗難のものと確認された。五月十二日にはスコップについて竹内狭山署長より県警本部鑑識課に鑑定依頼がなされ、五月十五日には死体発見現場、スコップ発見現場の土壌を採取し、このスコップの土壌、油質物検査がなされている。ところが石田一義本人によるスコップの確認は二十日も遅れた五月二十一日である。この点は奇異の感を免れない。それはともかく、スコップ発見により捜査はいよいよ石田方豚小屋の出入関係に絞られ、二十数名の者について筆跡、血液型の採取確認、アリバイの調査等が進められたという。当審における将田証言では、「これらの捜査は五月八日から五月二十二日頃までになされた」という。捜査官証言によれば「他の一般捜査をしなかった訳ではない」というけれども、発見スコップを中心とする捜査が終始捜査方針をリードしたことは明らかであり、捜査官証言もそのことを否定しない。                                                      石田方豚小屋の関係者についての捜査から浮かんできた二十数名の中の一人が、本件被告人石川一雄である。被告人はこのスコップが発見された現場から約三百数十米の所にある自宅に住んでおり、その自宅の直ぐ側に石田一義の実家があり、石田一義方の豚小屋には昭和三十七年十月頃から三十八年二月いっぱい住み込んで働いていた人物である。                                    なお、石田、石川の両名は菅原四丁目といわれる未解放部落の出身者である。また、その後本件で逮捕された東島明は狭山市柏原部落出身者である。本件について、のちに逮捕された者がいずれも未解放部落出身者であることは青木一夫証人が控えめに認めるところであり、まして当時のマスコミはこのことをしきりと喧伝し、差別感と偏見を煽り立てたのである』(続く)

スコップが発見された時の状態(写真は“無実の獄25年・狭山事件写真集・部落解放同盟中央本部中央狭山闘争本部編=解放出版社”より引用)