アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 533

【公判調書1693丁〜】

「自白の生成とその虚偽架空」            弁護人=石田  享  

   二、別件による逮捕勾留と自白の強要

(一)別件逮捕の目的とその性格

被告人を五月二十三日逮捕した捜査当局の狙いは、狭山事件容疑者としての取調べにあった。

被告人逮捕当日午前十時から、中  勲・埼玉県警刑事部長(狭山事件特別捜査本部長)は狭山市入間川公民館で記者会見を行い、「石川が直接犯行と結びつくはっきりした証拠は今のところ出ていないが、脅迫文の筆跡は鑑定の結果から同一のものと認められるので逮捕に踏切った。石川の善枝さん事件の容疑については確信を持って追及する」(38・5・23毎日新聞夕刊)と言明した。

この中刑事部長の発表は、明らかに狭山事件捜査のための別件逮捕であり、見込逮捕であることを物語っていた。元々、被告人の別件が捜査当局によって問題視され出したのは、狭山事件の捜査過程で被告人が狭山事件特別捜査本部の捜査線上に上がったからに外ならなかった。被告人はスコップが発見された五月十一日頃から石田一義方の出入関係者二十数名の一人として捜査対象にされた(将田政二当審十二回証言)。

五月十四日夜、中特捜本部長は記者会見を行い、「善枝さん殺しの容疑者を詐欺、横領など、殺人とは別の容疑で逮捕するようなことはない。あらゆる物的証拠を揃えて、そのものずばりの殺人容疑で逮捕令状を請求するつもりだ」と言明した。これを報道した38・5・15朝日新聞は同時に捜査の動きを次のように伝えた。「同本部では犯行に使ったとみられるスコップの線から捜査線上に重要参考人が浮かんできたが、捜査に並行して物的証拠やアリバイなどが思うように取れなかったため捜査は急速な進展を見せなかった。このため同本部はやむなく最初の“短期解決”方針を変え“別件逮捕”に踏切らないことにした」と。つまりこの段階では捜査当局は「短期解決」策として「別件逮捕」を考え、そうした方法を取らずに、いわばがっちりと捜査したうえ殺人等の本格的な被疑事実によって「容疑者」を逮捕したい、と考えていたのである。

当時、五月二日深夜、佐野屋脇での真犯人逮捕に失敗した捜査の重大な手落ちに対し、社会から警察に対する批判、非難が集中していた。それは例えば毎日新聞社への五月の投書では、善枝さん殺しの捜査の手落ちに対する警察批判が最も多かった(38・5・31毎日新聞)と言われる程、厳しい批判であった。このため、埼玉県警察では前例のないヘリコプター使用をはじめ、連日にわたる山狩りなど機動隊、民間消防団まで組入れた大規模な捜査体制をひき、狭山市役所堀兼支所に置かれた前線捜査本部と狹山署を基地として、大々的な捜査を行なったのである。「別件逮捕」はしない旨の中本部長の言明は、こうして追い詰められた警察の体面を守る上で言わざるを得なかった強がりの発言であった。

しかしその強がりには同時にまた、捜査の方向を誤る危険が含まれていた。警察は体面にかけても、できる限り早期に社会に対する申し開きをしなければならない立場に立たされていることに外ならなかったからである。追い詰められた特捜本部によって、安易な、誤った見込捜査、見込逮捕がなされる条件は充分整っていた。果たして、中本部長がわざわざ「別件逮捕」はしない旨大見得を切った五月十四日からわずか九日後に、被告人を別件で逮捕したのである。

何故、このような事態が生じたのであろうか。結論から云えば、それは捜査当局が奥富という植木屋から「被害現場より七、八百メートル離れた山の中で被告人と東島明の二人を見た」旨の供述を得た(青木一夫当審七回証言、将田当審十三回証言)ことと深いつながりがあるとみなければならない。捜査当局がこの聞込みを得、供述調書をとった時期は、中特捜本部長が「別件逮捕はしない」旨言明してから被告人の別件逮捕に踏切る時期にぴたりと一致している。青木当審七回証言によれば、奥富植木屋のその供述を調書にとったのは結局五月二十日頃で、被告人逮捕の直前であり、それに先立つ五月十八日、野村スイを取調べ、同人から「石川一夫、東島明の自筆に係る紙片一枚」を任意提出させている事実(当審二十九回公判で検察官が提出した被告人供述調書{以下新調書と略称する}のうち6・10〈員〉清水調書八項)からみれば、特捜本部では五月十八日の直前に奥富植木屋の右供述を得、その裏付捜査として野村スイを取調べて「自筆に係る紙片一枚」を提出させたうえ五月二十日過頃、つまり被告人を別件逮捕する直前に右植木職から供述調書をとったことが明らかである。してみれば、植木職の右供述が、「別件逮捕はしない」と公言していた特捜本部の捜査方針を急遽変更して、「短期解決策」として被告人ないし東島明らに対する別件逮捕へ踏切らせる上で有力な資料に供さられたことはほぼ明らかである。(引用は続く)

*当時の狭山署長による記者会見の模様。

*石川被告人の逮捕を報じる新聞。二点の写真は「無実の獄25年狭山事件写真集=部落解放同盟中央本部中央狭山闘争本部・編、解放出版社」より引用。