アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 516

【公判調書1648丁〜】

第二{脅迫状の問題点}                                   橋本紀徳

   一、封筒

(1)被害者中田栄作方に届いた脅迫状は、表側やや水色の入った白色、内側水色の二重封筒に入れられていた。捜査官の供述では、どこにでもある封筒で格別の特徴は見当たらないという。封筒の表面やや中央上部寄りには「少時様」と記載されているが、それは無秩序な棒線で抹消され、他に「中田江さく」と宛名らしきものが中央下部に一ヶ所書かれている。裏面は「〆」により封緘がなされ、表面と同様「中田江さく」と中側下部に、さらに中央には「中田江」と記載されている。封筒はいったん糊付されているが、乱暴に引き破られ開封されている。二つ折りされた跡が顕著である。

自白によると、封筒は三十八年四月二十八日の午后、被告人の自宅の仏壇の抽き出しにあったものを取出したものであると云う。四月二十八日は大学ノートを引き破った紙に脅迫状を書いた日とされているが、この日に封筒も取出し、それに「少時様」と云う宛名を書き、これに既に書き上げておいた脅迫状を入れ、二つ折りか四つ折りにしてジーパン(ズボン?)の後ポケットに仕舞い込み、二十九、三十日とそのまま持ち歩いていたのである。善枝さんを捕まえた折にも偶々これを持っており、早速これを中田家への脅迫状として利用しようと思いついた。そこで善枝さんを殺した後、殺害の現場附近で「少時様」と云う宛名を「中田江さく」と訂正した上、被害者宅へ届けたと云うのである。(六月二十九日付警察官調書第四、六項。七月一日付第三回検事調書第二項、七月二日付検事調書第四項など)

(2)しかし、以上封筒に関する自白にもいくつかの大きな疑問点がある。先ず第一の疑問点は封緘の点である。

外見よりすると、問題の封筒はベッタリと糊付された上「〆」を以て封がしてある。さらにそれを乱暴に指でひき破って封を開けた形跡がはっきりしているのである。いつ、どこで、どんな方法で封をしたのであろうか。自白ははっきりしない。とくに糊付の方法は重要であるが、奇怪なことに自白はこの点に関して全く沈黙して語らないのである。わずかに、六月二十二日付の警察官第二回調書第十項に「それから私がその封筒の糊の付いているところを舌で舐めて貼って封をしたように思いますが、はっきり覚えておりません」、六月二十九日付の警察官調書第二十八項に「それから私がこの、金を持って来いと云う手紙を善枝さんの家へ届けたとき、その手紙の封をしておいたか封を切ったかは、はっきり覚えていないから後でよく考えてみます」、及び七月二日付の検察官第一回調書第四項に「その手紙は昨日云ったように四月二十八日、封をせずに四つ折りにしてズボンのポケットに入れて持っており、善枝ちゃんを殺してから書き直して、後に杉の木の下で封をしたように思います」とあるのみで、これが封筒の封緘に関する全てである。

しかし二十二日付警察官第二回調書は三人共犯段階のものである。これによると脅迫状は善枝ちゃん殺害後、殺害現場で善枝ちゃんの鞄に入っていた帳面をひき破って、被告人が、入曾の男より渡されたボールペンで、入曾の男の云うとおり、入曾の男に漢字を教わりながら書いたと云うのであって、若しこれを信用するとすれば、原判決認定事実は根底からくつがえる。三人共犯が信用できないのと同様、この段階の調書記載事実は到底信用できないものである。被告人が全面的に単独犯行を自供したと云う六月二十三日以降の調書には、封緘に関する供述は前記以上のものは一切現れていない。

封筒裏面の封緘はいつしたのか。それはどんな筆記用具を使ったのか。糊付はどんな方法でしたのか。あらかじめ封筒に付いている糊を舌先で舐めて封をしたのか。それとも別に糊をつけて封をしたのか。自白は一切空白である。なぜなのか。なぜ警察官は、封をしたか切ったかの質問をしっ放しで放置してしまったのか。前記六月二十九日付調書第二十八項の質問に対する答えはその後の警察官調書には現れない。被告人が真実脅迫状の作成者であれば、なぜ右に挙げたいくつかの点を捜査官に容易く説明出来なかったのであろうか。委細を記憶していることが困難なほど複雑なことでもなく、忘れてしまうほどに取るに足りないことでもない。疑問は次々に湧く。だが自白調書をいくら検討してもこの疑問は解明されないのである。

被告人が脅迫状の作成に真実関与していたものであれば、どんな方法で糊付をしたのか、いつの段階で封緘をしたのか、四月二十八日か五月一日か、はっきりと供述出来る筈であるし、また当時、一切を告白しようと云う心境で自供をしたと云うのであるから(七月八日付第三回検事調書第一項{善枝ちゃんを殺したり、金を取りに行った事等について、今まで全部本当の事を云っており、嘘を云ったり隠したりしている点は今ではありません})、特段以上の点を隠すと云うことはあり得ない。

被告人は真実脅迫状の作成者ではなかった。だから、いつ、どこで、どんな方法で封がなされたのかを知らないのである。ビニール布、玉石、棍棒などと同様、知らないからこそ、右の点について何も説明することが出来ず、自白調書に現れることがなかったのである。

*次回、(3)に進む。

脅迫状が入れられた封筒(表、上面)。

同封筒の表、下部。(写真二点は“無実の獄25年狭山事件写真集=部落解放同盟中央本部中央狭山闘争本部・編、解放出版社”より引用)