アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 520

【公判調書1660丁〜】

第二{脅迫状の疑問点}                                   橋本紀徳               

   三、「少時様」の謎

脅迫状封筒表面に「少時様」と宛名が書かれ、後に消されている。脅迫状の本文欄外にも「少時このかみにつつんでこい」と記載されている。

「少時様」とは一体誰を指すのであろうか。実在の人物であろうか。脅迫状の文言からすると犯人は狭山市内近辺に土地カンがあり、従って「少時」が実在の人物を指したものとすれば、「少時」と云う名宛人は狭山市近辺在住の人物と推理できる。捜査官も、当初は「少時」が実在の人物であり、本件脅迫状は「少時」の子供を狙って書かれたものと考えて旧堀兼村を中心に捜査をした(十三回公判の将田証言)。容疑が被告人に集中し始めると、被告人の周辺の「少時」に捜査が絞られたのである。しかし被告人の周辺に本件と関係のありそうな「少時」と云う姓もしくはその名の人物はいない。「しょうじ」と読める人で関係のありそうな人もいない。

脅迫状の文言内容(金額が比較的調達容易な二十万と明記されていること、持って来る場所が “ 前の門 ” と具体的に指示してあること、西武園の実在性など)及び封筒が糊付され封緘がなされていることからすれば捜査官ならずとも、本件の脅迫状は架空の人物に対する架空のものとは思われない。「少時」と云う人物の子供の誘拐を狙って本件の脅迫状を作成したが(その折、封をした)何らかの理由でそれが実行出来ず、その後善枝ちゃんを捕らえたことにより予定を変更し、いったん封をした封筒を開いて脅迫状の内容及び宛名を変えたと理解できる余地が充分あるのである。

だが自白によると、「少時」と云う名宛人はあくまで架空の人物であるとされている。六月二十五日付第一回検事調書第十項などに「封筒の宛名に少時様と書いてありますが、それはしょうじさんと云う家を特に狙っていたのではなく、後で適当に宛名は書き直すこともできると思って書いたのです」とあるのがそれである。

しかしそれにしてはおかしい。「少時様」と云うのが単に封筒の名宛人欄にのみ記載されているのならともかく、前記のとおり本文中にも記載されてあり、あとで変更し得る体裁をとっていないからである。

捜査官は、当時被告人が金に困っており、金が欲しかったと至るところで供述させている。七月八日付の第一回A検事調書などは、わざわざ金が欲しいという本件の動機を裏付けるためだけに作成したものである。それほど金が欲しく、誘拐を企むほどの者が、架空の人物を名宛人とする架空の脅迫状を書いたと云うのはおかしい。何よりも、本文中の四月二十八日、前の門の所まで二十万円を持って来い、と云うのが理解できない。自白によると、二十八日の午后作成した脅迫状に、その日の夜十二時に金を持って来いと書いたと云うのであるから、もし真剣に誘拐を考えていたものとすれば、誘拐はその日の午后から夕刻までに実行しなければならない。しかし自白によると、その日誘拐を実行しようと云う気は全くない。もし自白通り、架空の人物を名宛人とし、四月二十八日の午后に、その日の夜十二時に金を持って来いと云う、本件の脅迫状が書かれたものとすれば、本件の脅迫状は真剣なものでなく、いたずら半分に書いたと云うことになる。それでは金が欲しいという状況と合致しない。自白で云われているほど金が欲しければ、誘拐計画も真剣であるはずで、脅迫状を漫然架空人物宛に書くなどと云うことはあり得ない。

本件の脅迫状は、四月二十八日までには誘拐を実行する目的で、四月二十八日以前に作成され封緘されていたものではあるまいか。前記のような脅迫文言、封緘の状況からすればそう考える方が合理的である。

自白で、「少時様」は架空の人物であると何回か供述させているのは、被告人の周辺に誘拐の対象となるような子供を持った実在の人物を発見できないから、苦肉の策として、そう供述させているのであろう。

「少時様」をめぐる謎もまた十分に解明されていない。

*次回は “ 四、「リボンちゃん」” に進む。

執拗に抹消された「少時」の文字。

写真二点は「無実の獄25年狭山事件写真集=部落解放同盟中央本部中央狭山闘争本部・編、解放出版社」より引用。