アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 521

【公判調書1662丁〜】

第二{脅迫状の疑問点}                                   橋本紀徳

   四、「リボンちゃん」

(1)被告人が単独犯行を自供し始めたのは、調書上では六月二十三日からであるが、翌二十四日の第二回警察官調書、六月二十五日の第一回検事調書と云う比較的早い段階から脅迫状の作成については詳細な自白が始まる。

それによると、被告人は吉展ちゃん事件にヒントを得て子供を誘拐して金を取ろうと考え、先ず四月二十七日、自宅で脅迫状を書く練習をした。次いで二十八日の午后、自宅のテレビのある四畳半の部屋で美智子のノートから二、三枚ひき破り、それに美智子の物か、あるいは美智子が友人から借りてきていた「りぼんちゃん」と云う少女雑誌から漢字を探し出して字を書き、三枚くらい書きくずし四枚目くらいに書き上げたのが本件の脅迫状であると云うのである。そこで、用紙、ボールペンなどの問題点についてはすでに述べたので、ここでは「りぼんちゃん」の問題を取り上げることにする。

右の六月二十四日付の警察官調書第六項には「りぼんちゃんというのは女の子の雑誌で、中には二宮金次郎が薪を背負って本を読んでいる絵などが書いてあって、その他にいろいろ字が書いてあり漢字には仮名がふってありました。ですから私は刑事さんの云う様な字から刑と云う字を書き、お札と云う様な字が出れば、この刑と札とを組み合わせて刑札と云う様に書いたのです」(同調書第六項)と記載してあり「りぼんちゃん」と云う雑誌は脅迫状を作成する際、極めて重要な役割を果たしていることを明らかにしているのである。特に本件脅迫状の文言中「警察」を「刑札」と書いたのは故意にしろ、偶然にしろ極めて特異な用字法であって、大いに注目されたのであった。その「刑札」の秘密が右の自白によって明らかにされたのであるから、右の自白の価値は極めて高いものであったと云うことができる。

しかしながら右の自白の価値は一片だにないと云うべきである。何故なら、第一に、自白に云う「りぼんちゃん」と云う少女雑誌が四月二十八日当時、被告人宅に存在していたかどうか不明であるからである。被告人が脅迫状の作成に少女雑誌を利用したとの自白後の六月二十六日、被告人宅に対する第三回目の家宅捜索が行なわれた。捜索の目的は万年筆、ボールペン、大学ノート、それに少女雑誌である。しかしもとより「りぼんちゃん」もしくは「りぼん」は押収されなかった。わずかに少女雑誌「なかよし」三十三年八月号及び三十六年八月号の二冊が押収されたのみである。四月二十八日当時、被告人宅に「りぼんちゃん」が存在したと云う証拠は何もない。十七回公判で原正検事も「美智子が四月二十八日頃、他から借りてきた雑誌にどういうものがあったのか」との問いに対して「学校関係、友達関係を聞いてみたのですが、その当時のことは分からなかったのです」と答えて、「りぼんちゃん」の存在を裏付ける証拠のないことを認める証言をしているのである。裏付けのない自白を信用することは危険である。補強されない自白は価値がない。

第二に、当時「りぼんちゃん」と云う雑誌は発行されていない。発行されていない雑誌を利用したという自白の虚偽は明白である。「りぼんちゃん」は集英社発行の少女雑誌「りぼん」の間違いであろうとも考えられるが、検察官がわざわざ「漫画の雑誌では“りぼんちゃん”と云うのではなく“りぼん”と云うのがあり、中の漫画に“りぼんちゃん”と云うのがあるが、その本ではないのか」と質問したのに「本の名前は判然しておりません。私は“りぼんちゃん”と云う本だと思っておりました」(七月一日付第一回検事調書第三項)と、あくまで「りぼんちゃん」の供述を変えていないが不思議である。

第三に、仮に「りぼんちゃん」と云うのは集英社発行の少女雑誌「りぼん」を指しているものとしても、自白に云う「りぼん」には「刑」と云う字が見当たらないから、この点よりしても、前記自白は事実に反する。(三十八年七月一日付諏訪部正司・清水輝雄の脅迫文書の裏付捜査について)。自白によると、脅迫状作成の際利用した「りぼんちゃん」は何年何月発行のものかは不明である。しかし検察官は自白に出てくる二宮金次郎を手がかりに、「りぼん」三十六年十一月号が問題の少女雑誌であると断定したらしい。そこで七月一日の第三回調書では「りぼん」三十六年十一月号を示して被告人に質問した。同調書第一項には「私が手紙の字を拾い出した漫画の雑誌というのはそれと同じ様な本でした。その本の中に二宮金次郎の像の写真がありますが、それを私は覚えております」と云うのがそれである。被告人は先に、利用したのは「りぼんちゃん」であると思うと云っているのであるから、「りぼん」を見せられて、これを利用したと云うのは明らかに矛盾であるが、却ってここでは被告人に定見なく検察官の意のままに供述を誘導されてゆくのがよくわかる。

これは脅迫状を書くのに、初めは「りぼんちゃんという雑誌一冊だけを使ったと思います」(七月一日付第一回検事調書第三項)と述べているのが、その舌の根も乾かぬうち、被告人宅から押収された少女雑誌「なかよし」三十三年八月号及び三十六年八月号を見せられると「この雑誌も見た頁があります。手紙の字を書く時この雑誌の中の漢字も拾い出したかも知れませんが、主に使ったのは“りぼん”と云う雑誌でした」(七月一日付第三回検事調書第一項)と、さらに「また、私が脅かしの手紙を書いた時、むづかしい漢字をリボンチャンと云う雑誌から探して書いたわけだが、リボンチャン一冊ではなく、それと一緒にあった美智子の漫画の本四・五冊の中からも漢字を探した様な気がします」(七月八日付第四回検事調書末尾)と供述を変更してゆく場合と同様である。

ともかく、七月一日段階までの自白調書では「りぼんちゃん」三十六年十一月号一冊もしくは「りぼんちゃん」三十六年十一月号を主とし、「なかよし」三十三年八月号及び三十六年八月号を従として利用して、右の雑誌から漢字を拾い出して脅迫状を作成したと云うことになる。しかしながら、右の三つの雑誌には、脅迫状にあらわれる「刑札」の「刑」の字も、「西武園」の「西武」と云う字も発見されないのである。「りぼん」などを利用して脅迫状を作成したと云う自白は、決定的な部分で客観的な事実に符号しない。これは明らかに脅迫状作成に関する自白全体の信憑性に影響するものであり、ひいては本件の他の自白の信憑性も疑わせるに足る重大な欠陥である。

このことに気付いた検察官は、前記七月八日付調書において、急遽「りぼんちゃん」の他にも四、五冊の少女雑誌を利用したと云わせたのである。被告人は脅迫状の作成については自白の最も早い段階から詳細に述べており、その中で漢字を拾ったのは「りぼんちゃん」の他にも利用した雑誌があるならそれを隠すことはないのであるから、もっと早い段階でそれを告げるであろう。六月二十九日ないし七月一日の段階で「りぼん」や「なかよし」の現物を見せられ尋問されており、また被告人が公判廷で云うように六月二十五日頃「りぼん」を何冊も見せられたとすれば、その折に、何冊かの少女雑誌を使用したことを語るのが自然である。捜査の最終段階で、起訴を目前にしている七月八日と云う日までそのことを隠していたとか忘れていたとか云うのは、脅迫状に関する自白状況からは全くうなづけない。これは明らかに捜査官の誘導によって供述せしめられたものである。「四、五冊の中からも」などと抽象的にしか伝えないのがその何よりの証左である。もとより、右の自白で云う四、五冊の少女雑誌に関する補強証拠など少しもない。「りぼんちゃん」に関する自白も、本件の自白が客観的事実と食い違う重要な一例である。

*次回 “ 五、加入訂正文字をめぐる謎 ” に進む。

「刑札」や「死出死まう」などの当て字が特徴的な狭山事件の脅迫状。「刑札に話すな」という趣旨の文言は脅迫状の二カ所に認められ、また「近所の人にも話すな」など、脅迫・身代金喝取の情報漏れを極力警戒し、まさに脅迫状が脅迫状たるべき、その本質を最大限に発揮させるべく釘をさし、いわば脅迫状の手本となる内容に満ちている。自身の要求を簡潔に伝え、時には効果的な表現を用い、しかもそれを文章で伝えることの出来る人間とはどのような人物であろうか。