アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 519

【公判調書1657丁〜】

第二{脅迫状の疑問点}                                   橋本紀徳

   二、大学ノートとボールペンの出所

(2)ボールペンの出所も証明されていない。

自白によると、脅迫状の本文、及び封筒の最初の宛名「少時様」と書いたボールペンは、「兄ちゃんのもので、四畳半の手箱の中に仕舞ってあったものです。ボールペンの色は青色のインクが入っていた、普通の鉛筆の長さくらいのものです。このボールペンで大体の文句は書いたのであります。私がこの時使ったボールペンは用が済んだ後、またその手箱の中に仕舞っておきました」(被告人の六月二日付第二回警察官調書第八項)とあり、殺害現場で脅迫状の内容を「四月二十八日」とあるのを「五月二日」などと、また封筒の宛名を「中田江さく」と訂正したボールペンは、「・・・兄ちゃんのものですが、これはボールペンの頭を押すとペンの先が出てくるようになっている仕掛のもので、普通の万年筆くらいの大きさのものです。そのボールペンはやはり兄ちゃんの手箱の中に仕舞ったから今でもあると思います」(同十二項)とある。

七月一日付の第一回検事調書第一項は、第一のボールペンの出所は「兄ちゃんがいつも寝る四畳半の部屋の兄ちゃんの行李の中に入っている手箱」の中に入っていたと詳しい。さらにその手箱の中には他にも二、三本、青色ボールペンがあったとつけ加えて、さらに七月八日付の第一回検事調書第一項で、出所は兄が何と云っているか知らないが手箱の中からであることを確認している。第二のボールペンについては、七月一日付の第二回検事調書第六項で兄は、頭を押すとペン先の出るボールペンは一本しか持たないと述べ、七月八日付の第一回検事調書第一項では「手箱の中から持出したもので、兄ちゃんの背広の胸のポケットから取出して持っていたのではありません」と云っている。

第一、第二のいづれのボールペンも、使用後元へ戻したとある。ボールペンの場合も、手拭い、タオル、封筒、大学ノートの場合と同じく、右の出所に関する自白を補強する証拠は見当たらない。

五月二十三日、六月十八日、六月二十六日の三回の家宅捜索の際には、その都度ボールペンも捜索の目的となっている。原審第五回の小島朝政の証言及び五月二十三日、六月二十六日付同人の捜索差押調書によると、五月二十三日は被告人宅の西北隅の四畳半の部屋にある、鼠入らずの中からボールペン二本を、六月二十六日は兄六造の背広の左胸ポケットから青色ボールペン一本を押収している。また六月十八日には茶色軸、青色キャップのボールペン一本を押収している(同日付小島朝政の押収品目録交付書)。しかし本件犯行に使用したと断定できるボールペンはなかった。

もし、自白が真実を述べているのであるとすれば、少なくとも本件犯行に使用したと云うボールペンの一本ぐらいは { また元の場所へ戻したと云うのであるから} 出てきても良かりそうなものである。

さらに第二の万年筆式ボールペンで問題になるのは、五月一日当時、被告人が自白通り果たしてこれを所持していたかどうかである。

このボールペンに関する最初の自白は六月二十四日付警察官調書であるが、そこでは「これは私が持って行ったボールペンで書き直したのです」(第十二項)とあるのみで、いつどこから持って出たのか全然触れていない。以後の警察官調書も同様で、いつ持ち出したかの点については警察官調書から全く明らかにすることはできないのである。右のボールペンに触れている検事調書も六月二十五日、七月一日付のものでは、いつ持ち出したのかの点については沈黙している。七月三日付第一回、第二回調書で初めてこの点に触れて、五月一日の朝、出がけに手箱の中から持ち出したと云わせた後、直ぐ、いや四月三十日、選挙の投票にゆくのに持ち出し、そのままジャンパーの胸のポケットに入れておいたと供述を変更させているのである。

なるほど五月一日の朝持ち出したとしたのではその説明に困るであろう。当時滅多に字など書く機会もなかった被告人が無目的にボールペンを持ち出すと云うことは考えられないからである。それで前日選挙のために持ち出したと供述を変更させたに違いない。しかし選挙のためにボールペンを持ち出すと云うのもおかしい。選挙場には投票用の鉛筆が備えてあるのは周知のことであるから、この説明もこじ付けの感を免れない。持ち出し時期の供述の変更は、この点に関する自白の信憑性を著しく傷付けている。さらに自白の云う持ち出し時期に関する補強証拠も全くないのである。

ボールペンの出所についても強い疑問が残るのである。

*以上 “ 二、大学ノートとボールペンの出所 ” の引用を終える。次回は “ 三、「少時様」の謎 ” に進む。

狭山事件における被告人宅の捜索状況。警察の目論見としては、ここから犯行に使用された、つまり脅迫状に使われた封筒、便箋と同種(メーカー・仕様等)の物証が発見されるはずと踏んでいた・・・。

過ちを犯したならば、それはそれで進まなければならない道程があり、その過程では謝罪、反省、原因追及、その後の対策、さらなる防御対策と安まる暇はない。

「ああ、面倒くせえ、犯人は石川だ」・・・これが当時狭山事件を担当した警察官の心理ではないだろうか。