アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 518

【公判調書1654丁〜】

第二  {脅迫状の疑問点}                                 橋本紀徳

   一、封筒

(4)封筒に関する第三の疑問点はその出所である。前述のとおり、自白によると封筒の出所は自宅の仏壇の抽出しとあるが、右の自白も他の物証の場合と同じく、何ら補強されていない。四月二十八日当時、被告人宅に果たして自白に云うような白色の二重封筒が存在していたのかどうか、それを確かめる証拠は何もない。被告人逮捕の日である五月二十三日、再逮捕の翌日の六月十八日、万年筆発見の六月二十六日の三回に渡り被告人宅の家宅捜索が行なわれたが、脅迫状の封筒と同質のものは被告人宅から見つかっていない。(第十三回将田証言)

五月二十三日の第一回目の捜索の際には被告人宅より十三枚もの封筒が押収されたのであるが、その中には本件の封筒と同質のものも、関連性のあるものも見つかっていないのである。仏壇の抽出しの中より取出したとする自白も、未だもって信用できるものではないのである。

  二、大学ノートとボールペンの出所

(1)四月二十八日の午后「私は善枝さんの家へ届けた手紙を書いたのです。この時使った紙は妹の美智子の鞄の中に入っていた帳面を破って使いました。この時使った帳面は半紙半分くらいの大きさです。その時その帳面の終を三枚か四枚くらい破って使ったと思います。その帳面は美智子が使っていたもので、始めの方は何か書いてあったと思いましたが、何が書いてあったか覚えていません。私が破って使った帳面は使った後で美智子の鞄の中へ仕舞っておきました」(六月二十四日付警察官調書第七項)

「野球から帰って私の家のテレビの部屋で中田さん方に届けた手紙を書いたわけです。手紙の紙は、前に話した様に妹の帳面の後の方を四・五枚破って使いました」(七月一日付検事調書第一項)

右が脅迫状に使用した用紙の出所に関する自白である。脅迫状の用紙は大学ノートをひき破ったもので、罫線が二十九本あり、記載面の左側に綴穴痕が約二ミリ間隔で十三個存在する(三十八年六月一日付関根政一・吉田一雄の筆跡鑑定書)。しかし、捜査官は問題のノートのメーカーや規格を十分調べていないらしい。したがってそれが十三綴りの大学ノートをひき破ったものと云う以上のことは分からないのであるが、捜査当局が被告人を恐喝未遂の容疑で逮捕した際には、問題の大学ノートの出所は被告人の自宅と想定したのか、主としてノート、ボールペンなどを探し出す目的で逮捕の当日である五月二十三日、逮捕と同時に家宅捜索を行ない、被告人宅からノート六冊、紙三枚を押収した(同日付小島朝政の捜索差押調書)。

六月十八日の被告人宅の第二回家宅捜索の際も、六月二十六日の第三回家宅捜索の際も、共にノートが捜索の目的になっており、六月十八日にノート一冊、紙片一枚(同日の捜索に関わる石川六造あて小島朝政作成名義の押収品目録交付書による)、六月二十六日はノート三冊が押収され、結局都合三回に渡る被告人宅の家宅捜索により十冊のノートと紙片四枚が押収されたのである。それにも関わらず、中田栄作方に届けられた脅迫状のノートと符号するノートは被告人宅からは発見されなかったのである。当審の法廷で将田警視は「脅迫状に使用されたと思われる大学ノートの捜査をしておりますね」との質問に対し「はい」と答え、さらに「これは発見できましたか」との問いに「同一のものは発見できませんでした」と答えざるを得なかったのである。

なぜであろうか。自白によると、妹美智子の鞄の中より使いかけのノートを出して、後の方から四、五枚破り取り、また元の鞄の中へ戻しておいたと云うのであるから、もし自白が真実を述べているのであれば、破り取られた痕跡のあるノートが被告人宅の美智子の所持品の近辺から発見されても良かりそうなものである。当時、美智子は中学二年生でノートは学校で使用していたものである。四月二十八日に使いかけのノートが、五月二十二日の二十四日間に全部使用済になるとは考えられないが、もし使用済になったとしても、直ぐに捨ててしまうということは、学校のノートという点から考えにくい。四月二十八日より五月二十二日までの間に妹美智子がノートを捨てたという証拠がない以上{実際そのような証拠は無いのであるが}右のように推理するのが自然であろう。

したがって、真実自白通りであるとすれば、五月二十三日の家宅捜索の際、四、五枚破り取られた痕跡のあるノートが見つかる筈であり、また破り取られた痕跡の有無はともかくとしても、紙質、メーカーの同一の物ぐらい存在する筈である。しかし、破り取られた痕跡のあるノートはおろか、脅迫状のノートと同一性のあるノートすら被告人宅から見つけ出すことは出来なかった。脅迫状の用紙の出所に関する自白も、手拭い・封筒の場合などと同様、他の証拠によって補強されていない。却って、客観的に存在する事実と照らし合わせると自白自体が虚偽であることを自ら暴露していると云うべきである。

なお、注意すべきは、六月二十四日付の警察官に対する自白調書第五項に「私は四月二十七日にも家に居て、吉展ちゃん誘拐したように子供を誘拐して金を盗ってやろうと考え、そのための手紙を書く練習をしました」との記載である(六月二十九日付警察官調書第四項も同旨)。もしこれが真実であるとすれば、この練習の時の用紙はどこから得たのか。これについての説明は一切ない。この時も美智子のノートを使用したのであろうか。これもまた重大な疑問点である。

*次回、(2)に進む。

(写真は手持ちの狭山事件公判資料より引用)