アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 517

【公判調書1651丁〜】

第二{脅迫状の問題点}                                   橋本紀徳

   一、封筒

(3)第二の疑問点は、被害者宅に届いた封筒がすでに封を切られていたと云う点である。原審第二回公判における中田健治の証言によると「封筒はちぎれておりました。・・・・・・そして、入れたところがはさみでなくて指で大きく引き裂いたようにバラバラになって・・・・・・後略。」と述べ、中田栄作の三十八年五月二日付の警察官に対する供述調書第八項でも「いったん封をしたのが乱暴に切ってあり・・・・・・後略。」と記載されている。さらに、中田健治は前記の証言の中で「それからその封筒について、翌々日かなんかに警察の方に、その封筒の切れ端と思われるものが入口のほんの三十センチ、一尺くらいのところに落ちていたのは、お届けしてございます」と述べているのである。

一体、いったん封をした封筒を、いつ、何のために開封したのだろうか。中田家で切ったものでなく、すでに切られた状態で届けられたとすると、犯人が切ったものに間違いない。この点に関し、前記六月二日付の第一回検察官調書第四項に「脅迫状は中田さん方に届ける際、中田さん方の入口の戸の前で手紙の封を切ったような気もしますが、その点判然しませんが、封が切ってあったとすれば中田さん方の入口附近に行った時、手紙の中に善枝ちゃんの写真を貼った紙を入れ忘れたのではないかと一寸気になってましたので、封を切って写真の紙が入っているかどうか確かめたような気がしますが・・・・・・後略」と、一応の説明はしてある。しかし、これは到底信用できない。

なぜなら脅迫状を届けたとする自白は、三人共犯段階の六月二十日、六月二十一日付の警察官調書二通を除いても、六月二十七日、六月二十九日、七月六日付の各警察官調書、六月二十五日、七月二日付の検察官調書と五通に上り、その他、脅迫状作成に関する自白は全物証に関する自白の中でも量も多く、およそ十三通にも上るのであるが、中田方の入口附近で封を切ったとするのは、右の七月二日付の検察官調書たった一通のみであり、しかも全く突然現れるからである。

脅迫状は五月一日午后七時半頃、中田家の玄関口のガラス戸に差し込むように置かれてあった。本件の一連の各犯行の中でも、まだ家人の起きている被害者方の玄関に忍び寄り、脅迫状を差し込む行為は最も劇的な、犯人にとっては緊張を要した瞬間である。まして今や脅迫状を差し込もうとする直前に、玄関の一尺くらいの所で封を切って中身を点検したと云うのであれば、緊張はいやが上にも高まり、犯人にとっては忘れることの出来ないほど印象に残ることであろう。したがって脅迫状を届けた旨一切を供述する折には、被害者方の玄関先で自分のした開封、写真の貼ってある紙の点検は(善枝ちゃんの身分証明書であるが)忘れ得ぬこととして語られたに違いない。

にもかかわらず、五月二十五日付の第一回検察官調書第六項は、単に「それから教えてくれた四軒目の家に道路から入って行き、左側にある納屋の軒下にあった小型貨物四輪車の脇に善枝ちゃんの自転車をそっと立てておき、脅迫状を善枝ちゃん方の入口の戸の隙間に差し入れて、道路に出てそれから歩いて帰りました」と語るのみであり、六月二十九日付警察官調書第二十八項では(この調書はそれまでの自白を整理総括したものであるが)前に引用した通り「私がこの、金を持って来いと云う手紙を善枝さんの家へ届けた時、その手紙の封をしておいたか封を切ったかは、はっきり覚えていない」と云うのみである。その他の調書ではこの点について全く触れていないのである。右の二十九日調書では「後でよく考えてみます」とあるが、前述の封緘の場合と同じく、後で考えたふしはない。繰り返すが、他のことで記憶違いを殆ど述べていない本件自白調書の中で、玄関口で封を切ったかどうかという重大事を忘れたと云うのは異常である。

しかし真実は忘れたのではなくて知らないのである。被告人は封緘のことも、開封のことも、いや脅迫状全体を知らなかったのである。だが前述のとおり、開封されていること、その切れ端らしきものが被害者方の玄関先に落ちていたことをあらかじめ知っていた捜査官が、六月二十九日ないし七月二日の段階で、右の点がそれまでの自白調書にあらわれていないのに気付き、急遽、自白の真実性を取り繕うと客観的事実に合わせ自白を誘導したのである。この点に関する自白の不自然さは、こう解するより他に説明のしようがない。

もっとも以上は、玄関先の紙片が本件封筒の切れ端であると断定した上での疑問点である。中田健治が警察に提出したと云う「切れ端」が果たして問題の封筒のものであるかどうか疑問がある。「切れ端」の領置関係がはっきりしない。本件の封筒の開封口には現在、はさみを入れた跡があり、当時の原型をとどめていないので確認するのは困難である。(この点に関し中田健治原審二回公判調書参照)

果たして本件の封筒の「切れ端」と断定してよいものであろうか。

*以上で(3)の引用を終える。次回、(4)へ進む。

脅迫状が差し込まれていた玄関のガラス戸。その下から二段目は透明なガラス戸であり、夕闇が迫る時刻だったとは言え、ここへ忍び寄り脅迫状を差し込んだ人物は、計り知れない緊張を強いられたと思われる。だが、この場面に関する被告人の供述にはまるでそれが感じられない。作文でも朗読したような供述である。玄関ガラス戸の手紙を指し示しているのは被害者の姉であり、二点の写真は「無実の獄25年狭山事件写真集=部落解放同盟中央本部中央狭山闘争本部・編、解放出版社」より引用。