アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 470

【公判調書1576丁〜】

                        「狭山事件の特質」

                                                                           中田直人

(前回より続く)『「“やま学校の方で俺を見たという人がいる” とか “東島が俺と一緒にやったと言っている。お前がやらないと言っても、東島が言っているから裁判に行ってお前がやったことになる” と言われた。そうかと思うと河本検事が “兄ちゃんが金子と一緒にやったのだ” と言ったりもした。腹が立ってチャワンをぶつけようとしたことがあった。この時、河本検事は “俺が三人で殺した” というようなことを書いたので、名前は書かなかった。弁護士さんから “十八日裁判所に行く” ということを話されたので、それまで言ってなかった石田登利造(石田一義の長兄)ら三人でジョンソン基地のパイプを盗んだことも言ってしまおうと考え、“十八日、裁判所へ行ったら三人でやったことを話す” と竹内と、関源三が川越に来る前に来たとき話した。ところが十七日、“帰っていい” と言って又捕まえ、こんどは善枝ちゃん殺しのことばかり調べると言われた。青木が “同じ一夫同士だ、心を打ち明けて話そう。善枝さんのことだ、知らないわけはない” と言って調べに加わった。十八日には裁判所にも行かなかったので、行こうと思っていたのに弁護士はウソをついたと思い込み、そしてそのことを警察官に話した。長谷部らは、“言えば十年で出してやる。弁護士と違いウソは言わない。信用しろ” と言った。十九日か二十日頃から留置所の飯が不味く、食事のことで看守と喧嘩し絶食を始めた。長谷部らは “署長と狭山にいるとき約束したことはなんだ。善枝さんのことだろう、三人のことを話せ。我々を甘くみたらいかんぞ” と怒ったり、又一方で “弁護士とは違う、ウソは言わない。十年で出してやる” というような日が続いた。俺は “十年で出してくれるなら、話してしまおうか” と迷った。だけど、殺さないものを殺したなんて言うとお父ちゃんが可哀想だし、こんな風にしていちゃ、とも思い、いろいろ迷った。六月二十三日頃、絶食を始めて三、四日経ったとき、長谷部らが “いま、関さんが来ると電話がかかってきた。善枝さんを殺したと、関さんか、どっちでもいいから話せ。十年ということは約束するから” と言った。関さんが “署長さんから、三人でやったことを聞きに行って来いと言われて来た” と言って入って来た。長谷部は、“今、出てしまうから話しづらかったら関さんに話してくれ” と言った。少し経ったら、関さんが私の手を握って泣いてしまった。“話さなければ帰るぞ、善枝さんを殺したことを話さなければ帰るぞ” と泣いた。それから長谷部が “さっきの約束は間違いない” と言って出て行った。関はまた、“話さないのか” と泣き、それで俺も泣きながら “三人でやった” ということを話した。三人でやったと言ったとき、“狭山精密の方に行く道を出て、お寺の近くで殺した” と言ったが、“そこから死体が埋めてあったというところまで何で運んだのだ、自動車だろう。誰のだ。入間川の男は誰だ。入曾の男というのは判っている” と聞かれた。自動車のことを聞かれても、言うとウソがすぐばれるので困っていた。その頃、原検事から “おまんこをしていないと言ってもだめだ。精液を出して調べればすぐ判る。そんなことを言っていると、いつまで経っても出さないぞ” と言われた。こうしたことで責められ、おっかなくなり結局 “一人でやった” と自供を改めた」

被告人がウソを自白するに至った経過、自白がどのようにして形を整えていったかについて述べているところは、更に豊富な内容をもっている。そして前に公判で提出された、新しい被告人の調書やこれまでの自白調書、捜査書類に表れる真実の端々から、我々はいま被告人の供述の正しさを確信している』(続く)

遺体発見時の写真(手持の資料より)。ヘリコプターからの撮影と思われる。