アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 553

【公判調書1791丁〜】

前回まで引用してきた狭山事件弁護人らによる意見陳述に対する東京高等検察庁検事=平岡 俊将の意見。

 

事実取調請求に対する意見書   昭和四十五年六月十七日

               東京高等裁判所第四刑事部 殿

弁護人の昭和四十五年四月二十一日付事実取調請求書による請求に対し、同年四月二十一日、二十三日、三十日各公判期日における弁護人の意見陳述をも参照して次のとおり意見を述べる。

第一、被告人の自白日時と自白調書について

   一、本件(強盗強姦、強盗殺人、死体遺棄、恐喝未遂の部分を指す)について被告人の警察官に対する自白は、供述調書によれば昭和三十八年六月二十日(以下特に年度を表示しない限り同年を指すものとして省略する)関源三に対する所謂三人による犯行を述べたのが最初で、翌六月二十一日関源三及び青木一夫に対し被害品の鞄を捨てた場所を自供し、六月二十三日に青木一夫に対し被告人の単独犯行である旨自白して爾来(注:1)原審中この自白を維持している。被告人、弁護人は前記意見陳述等で右自白の日について六月二十三日頃が最初の三人犯行の自白であり、それから三日位経て二十六日頃が単独犯行の自白時期であって、警察官作成に係る自白調書は日付が異なっているという趣旨の主張をする。

しかしながら記録に現れている警察官、検察官に対する全自供調書の作成日、自供経過、内容等を順次に対照すれば自ずから供述と調書作成日が一致していることが明らかである。六月二十日より七月六日に亘る警察官調書二十通、六月二十五日より七月八日に亘る検察官調書十八通があり、これらの中には同日に数回の調書が作成されているものもあり、これら多数の供述調書の日付を遡らせて作為するというようなことは到底合理的に首肯できるものではない。

  二、六月二十日、関源三に対する自白調書に被告人が三人の犯行である旨述べたその内容を説明するため被告人自身が自書した添付図面(一九五四丁)には明らかに被告人の自筆で六月二十一日の日付が記載されている。同じく六月二十一日付の関源三に対する供述調書に添付の被告人が鞄を捨てた場所の説明として書かれた図面(一九五九丁)にも六月二十一日と日付が自書されている。六月二十一日付二回目の青木一夫に対する自供調書にも被告人の供述内容に副う被告人作成の図面三葉(二〇二一、二〇一一、二〇一二各丁)が添付されていてそれぞれに六月二十一日と日付が被告人の自筆で書かれている。

以下全調書の添付図面と自供の内容を対照し、これに副う被告人作成の図面に自書された日付を比照検討すれば被告人の自白と供述調書の作成日は正当に一致していることが明らかである。

(注:1  爾来="それ以来"の意)

三、被告人、弁護人は六月二十二日付青木一夫に対する一回供述調書添付図面、特に二〇二四丁の図面は自白の前に書いたものである旨主張する。そして当審第三十回公判(四十三年十一月十四日)における弁護人の被告人質問中において、被告人が本件被害者中田善枝の死体発見現場にこれを見に行き場所を知っているということを前提として、右図面中に「⬜︎-よしエちんかしんでたところ」と表示しているのは死体が発見された場所を書いたものであるという趣旨の質問、応答がなされている。

(二〇二四丁図面)

(その拡大写真)

(二〇二四丁、日付部分の拡大写真)

しかしこの図面は被告人が未だ本件犯行は三人で行なったものであると供述しているその内容の一部として、善枝ちゃんを殺したのは他の二人であり、その死んでいた所へ自分が脅迫状を届ける役を果たしスコップを盗んで持ち帰って来たという経路を書いたもので、右図面中の「⬜︎-よしエちんかしんでたところ」とあるのは、右六月二十二日付一回目調書六項に「私がスコップを持って善枝さんが死んでいた場所の近くまで行ったら、入間川と堀兼の男が大きな木が三本ばかり生えているところに立って雨をよけていました」という供述の、その死んでいたという場所を表示したものであることは明らかである。そして右図面と、被告人の六月二十五日付青木一夫に対する供述調書に添付の図面二〇九四丁、同六月二十六日付二回目供述調書に添付の図面二一〇三丁等と対照し各図面中の「にかいや」の表示や「狭山せいみつ」、「をまわりさん」を表示してある部分等を比照検討すれば、右二〇二四丁図面の「よしエちんかしんでたところ」が被告人、弁護人のいう死体発見の場所ではなく、おおむね本件殺害犯行現場であるいわゆる四本杉辺りの山中を示していることが理解できるのであって、前記第三十回公判における弁護人、被告人の質問応答は、いささか強弁にわたり事実に反するものがあると考える。

右二〇二四丁の図面にも被告人の自書で六月二十二日の日付があり、従って六月二十日、二十一日に引き続いてまだ犯行は三人で行なったものと供述していた六月二十二日のものであることが明らかであり、次いで六月二十三日付青木一夫に対する単独犯行の自白調書が二通あり、その二回目調書に単独犯行自供に伴う被告人自書の同日付図面二葉が添付されている。

また原検事に対する六月二十五日付の供述調書には既に単独犯行としてほぼ全面的な内容をもつ供述がなされており、これにも被告人が六月二十五日の日付を自書した図面四葉が添付されている。従って被告人の最初の自白が六月二十三日以後であるとする主張の合理的な根拠は記録上認められない。

*次回、"四"へ進む。