アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 557

【公判調書1801丁〜】

東京高等検察庁検事=平岡俊将の意見

第二、

   「三、被告人は、六月二十四日付青木一夫に対する供述調書において、被害品の時計を田中地内の道路上に五月十一日頃捨てた旨自供し、その時計の略図と捨てた場所の図面を書いたものが調書に添付されており、なお、六月二十七日付の調書中五項に時計を捨てたことを述べ、その場所の図面を作成している。

当審において被告人、弁護人は時計を捨てた場所を図面に書いたのは六月二十四日ではない旨、また、小川松五郎により時計が発見届出された七月二日の以前において、被告人はこれを警察官から見せられている旨主張する。

(一)、弁護人は被告人の右六月二十四日付供述調書に添付されている時計を捨てた場所を示した被告人自書の図面が六月二十九日付であると主張し、六月二十四日付青木一夫に対する供述調書は三通あって、その三回目調書に時計の略図と時計を捨てた場所との図面(二〇七四丁、二〇七五丁)が添付されているその二〇七五丁の、時計を捨てた場所の図面の日付が六月二十九日であるというのである」

(時計の略図。左上に2074との丁数があり、右上には六月二十四日の日付が確認できる)

(次に載せるのが2075丁、時計を捨てた場所の図面である)

(左上に2075との丁数が確認でき、左下に時計を捨てた場所の記述、右上には・・・6月29日の日付があるが・・・)

「しかしながら六月二十四日付第一回目の調書にも、佐野屋へ行った道筋を書いた図面が添付されている(二〇六〇丁)。

この三通の図面に被告人の各自書した日付の数字を仔細に比照してみれば、二〇七五丁の図面の日付も六月二十四日であることは充分理解される。このことは数字の4の筆法が同日付三通の図面でも共通であること、また被告人の六月二十九日付青木一夫に対する供述調書に添付された図面(二一五〇丁)の被告人自書に係る数字9の筆法と比較検討すれば明らかであるのみならず、時計を捨てた場所については六月二十七日付青木一夫に対する供述調書中の五項においても述べておりその図面(二一一四丁)が添付されているが、

(二一一四丁図面)

(二一一四丁図面の日付は六月二十七日)

この図面と、右の六月二十四日の二〇七五丁の図面を比較してみれば、

(二〇七五丁図面)

(二〇七五丁図面の日付は六月二十九日)

六月二十七日付の図面がより具体的正確に時計を捨てた場所を示したものであることは明らかである。もし二〇七五丁の図面が六月二十九日付であるとするなら、六月二十七日の二一一四丁の図面を書いた後、さらにこれよりも抽象的で不明確な図面を二十九日に書くということの合理性はあり得ないことである」

*次回、「東京高等検察庁検事=平岡俊将の意見・第二の三の(二)」へ進む。

(六月二十九日図面)

六月二十九日の図面より、六月二十七日の図面の方が具体的、正確に時計を捨てた場所を示す、つまり二十七日、詳細な図面を書いた後、二十九日になって大雑把な図面を書くわけがないと、こう仰りたいのだろうか。

(六月二十七日図面)

しかし調書には歴然と日付が記され、これが警察官による取調調書となっている以上、この問題は弁護側に軍配が上がるのは当然であろう。