アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 559

【公判調書1804丁〜】

東京高等検察庁検事=平岡俊将の意見

第二の三、

(三)の続き。

弁護人は前記のように時計を捨てた場所を書いた二〇七五丁の図面の日付は六月二十九日であるとし、また被告人の陳述等により当審記録十五冊中の航空自衛隊入間基地司令中村雅郎作成の「気象状況について」という回答書、埼玉県園芸試験場入間川支場長入子善助、熊谷気象台の各証明書等を引用し、六月末頃で雷雨のあったのは六月二十九日と三十日の二日間だけであると主張する。

被告人のいう右日時と天候等の陳述が極めて具体的なようにみられるけれども、右資料の中村雅郎作成回答書によれば六月二十七日は曇り、同二十八日は曇り時々小雨となっており、他の二つの証明書によってもこの両日とも格別被告人の述べているところに照合する気象現象は見出し得ないのである(なお、被告人のいう六月二十八日には検事の調べた調書は記録上ない)。被告人が六月二十四日に次いで六月二十七日の青木一夫に対する供述調書中にも再度時計を捨てたことを述べ、その場所の図面を書いていることは前記の通りであるが、右のように被告人の主張する六月二十七日及び二十八日が被告人の述べるような特別な事実と結びついた日に当るという実証はなく、また被告人の陳述と弁護人の主張とを対比検討すると、被告人のいう六月二十七日木曜日で雷雨があった日であるという特別具体的な記憶に基づくものであるとする陳述と、六月末頃で雷雨があった日は二十九日、三十日のみであるという弁護人の主張とはどのような関係になるのか理解し難く、これらの陳述や主張だけでは、被告人が時計を捨てたことを自供しその場所の地図を書いたのが六月二十七日頃の一回だけであって、六月二十四日に時計を捨てたことを自供しその場所の図面を書いた事実がないと否定する合理的な理由とはなり得ないというべきである。(続く)