【公判調書1802丁〜】
東京高等検察庁検事=平岡俊将の意見
第二の三。
(二)、被告人が五月十一日に捨てたという時計が七月二日に至って小川松五郎により発見されたことについても種々疑惑がある旨主張するが、被告人は右六月二十七日の青木一夫に対する供述調書五項において、時計は五月十一日の夕方七時頃捨てたことに間違いはない、きっと朝の早い新聞か牛乳の配達が拾ったか、その夜そこを通りかかった人が拾っていると思うから新聞にも出して皆にそのことを知らせてみて下さい、と述べているくらいで、被告人自身、道路上に捨てた時計がそのままの状態で自供頃までありうるとは考えていないのである。
弁護人は、警察官が時計の捜索を自供調書日付の直後頃に行なわなかったとし、また現場の捜索よりも、配達人や通行人その他の人達につき拾得の有無の聞込み捜査に多くを費やしていることを異常のことのようにいわれる。しかしこれはむしろ被告人の自供どおり道路上に捨てられた時計が自供当時までそのままあり得ると考えるのが不自然で、当然拾得され、しかも届出がない場合を考えそのような捜査に当ることが合理的に理解できるのである。
(三)、被告人の、時計を捨てた旨自供しその場所の図面を書いた日は六月二十四日でなく、もっと後であると弁護人も主張し、被告人も当審においてしばしばそのことにつき陳述しているのであるが、これを検討してみると、被告人は当審二十六回公判(四十三年八月二十七日)で弁護人の質問に対し、
「地図を書いたのは六月二十七日頃と思う。
地図を書いて次の日の夕方、時計を見せられたと思う。
地図を書いた日について特に覚えていることは、その日は雨がずいぶん降ってきた。夕方から雷が物凄く鳴ってきて手錠を掛けていたものだからそれを外してやろうかと言われ片方だけ外してくれた。
いつも調べているところが雨が漏るので弁護士と面会するところへ移ったと記憶している。
そういうことがあった翌日、時計を見せられたという記憶があり時計を自分の腕にはめてみたから覚えている」
と述べている。なお第二十七回公判で石田弁護人の質問に対し、時計を捨てた場所に関する地図を書いたのは一回一通だけの記憶で二十七日頃であると述べている。
第九回公判(四十年十一月二十五日)における証人長谷部梅吉に対する被告人の質問中では、
「時計の件は六月二十六、七日頃の木曜日(二十七日が木曜日である)に取調べを受けたとき図面を書いたと記憶している。その時の取調官が誰であったか今覚えていないが、善枝ちゃんの腕時計をどこへ捨てたというので俺が田無の質屋に入れたと言ったら、我々はとっくに調べてある、黙っていてもわかっているんだ、どこへ捨てた、と言うので田中へ捨てたといって図面を書いたら、その翌日知らない刑事が証人のところへ来て、課長時計が見つかりましたと言って時計を出した。その時俺がそれでは見せてくれといってその時計を手にとりこれが善枝ちゃんの腕時計ですかと言って自分の腕にはめてみたらピッタリ合うので善枝ちゃんは案外腕が太かったんだな伝々と言ったが、覚えているか」
中略
「時計を持って来たのは夕方ではなかったか、俺が図面を書いたのはその日の夕方である(意味不明)、その日は晴れた日であった、晴れた日ということはその日検事の調べ中俺は糞をしてしまったので検事が帰ってから遠藤さんにその話をしたら、同人は今日は晴れているから洗濯してしまえ、そうすれば家には分からないだろうと言ったが、俺は洗濯なんてしたことがなかったから構わず家へ届けてくれと言った。そうしたことでその日が晴れた日で六月二十八日であったということをはっきり記憶しており、そしてその日に時計を持ってきたので自分の腕に嵌めてみたのであるが覚えていないか」
などと質問し、一見その日時と時計に関する事実との関連についての記憶が極めて具体的正確であるかの如く述べている。
*長文ゆえ、この続きは次回に記す。ところで被害者の腕時計の行方について、取調官が唐突に「どこへ捨てた」と被告人へ問うたことが本当だとすれば、ここにまず疑問が持たれる。万年筆同様、どこかへ隠匿していた可能性もあるからである。腕時計を捨てたと決めてかかる質問の背景には、すでにそのような段取りがなされていたのではないかと、つい勘ぐってしまうのだ。この疑いが、あるいは意外と真相ではないかと思わせる片鱗が、腕時計は田無の質屋に入れたとの被告人の発言を遮り、取調官が、やはり捨てた場所の追求に固執しているところに表れている。つまり腕時計はすでに捨てられているということが前提の取調べではなかろうか。
左下に「とけいをすてたところ」という文字が確認できる六月二十七日付2114丁図面。おや2114甲とある。
お、こちらは2114乙。六月二十七日付図面。
2114丙、六月二十七日付図面。
六月二十九日付図面。この四点の図面に共通している点は図面左下に「とけいをすてたばしょ」との文字が確認できることである。だが図面の具体性が二十七日付図面と二十九日付図面ではガラリと変わっている。何故なのか。