アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 556

【公判調書1800丁〜】

東京高等検察庁検事=平岡俊将の意見

第二の二

  (二)、小島朝政作成の五月二十三日付、六月十八日付(弁護人の要望により証拠請求をする)各押収捜索調書の記載内容や添付写真などをよく検討すれば、同人の当審第十三回公判(四十一年二月二十四日)における証言で、第一回五月二十三日にも第二回六月十八日にも、鴨居とか梁とかの部分を捜索員は捜索していないと思う旨、また六月十八日の時も勝手場にはあまり物も無くお勝手用品と雨合羽か何かが一、二枚、柱のところの釘に掛けてあるぐらいで何もなかったので、その班の者を奥の六帖、八帖の調度品のあったところや、押入れのあった部屋に転用した記憶もある旨、また時計とか万年筆は簞笥、長持、その他の調度品の中、本箱、机等、筆記用具の置いてある場所などに注意して捜索した旨の供述にもあるとおり、二回とも勝手場入口の鴨居などについて捜索した記載のないのはもちろん、写真にも出ていない状況がみられ、勝手場入口の鴨居などに捜索員の関心が向いておらず、むしろ調度品などの置かれた各部屋や調度品の内容などに捜索が集中していることを充分窺えるのである。六月十八日の捜索は、その目的物として被害品の内まだ発見されていない鞄、時計、万年筆、財布などとされており、特に万年筆という特定された物だけを目的にした捜索でなかったことも明らかである。

(三)、今時昭和四十五年五月九日の検証の際における被告人方勝手場の状況は、三十八年五月二十三日、六月十八日の捜索当時とは必ずしも同一条件にあるとは思われず、勝手場天井の明かり取りの部分も新しくされて極めて明るくなっており、特に今回の鴨居を特定場所に意識してみる見方は右捜索当時の関心とは己ずと異なる感覚を生ずるのが当然で、右の五月二十三日、六月十八日、二回の捜索によって勝手場入口の鴨居に隠された万年筆を発見し得ず、後に被告人の自供により発見されたことについて特段の疑念を差し挟む理由はないと考える。

(四)、なお、六月二十六日の捜索の際には、警察官は玄関の方から行き声をかけたが、たまたま座敷廊下の方に被告人の父親ら家族がいたので来意を告げ、そこから屋内に上がって家人立合いの上捜索したことは調書に記載されておるところで、当日警察官が万年筆を持ち込み工作したうえ六造をして取り出させたというような懸念を差し挟む余地は全くない。

*次回、「東京高等検察庁検事平岡俊将の意見・第二の三」へ進む。

*二度に渡る家宅捜索では見逃され、三度目にこの鴨居から万年筆が発見される。単に鴨居の上に置かれたこの万年筆発見の過程には、やはり誰もが疑いを持つだろう。誰の目にも入る、こんな所から万年筆が見つかるとは、いくら被告人の自供によるとは言え、二度の家宅捜索を行なった捜査員本人らが驚いたのではなかろうか。(写真は"狭山差別裁判・第三版、部落解放同盟中央本部編、部落解放同盟中央出版局"より引用)