アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 538

【公判調書1704〜】

「自白の生成とその虚偽架空」            弁護人=石田  亨

   三、再逮捕、再勾留と自白強要

(三)被告人の自白はいつから始まったか。

被告人の自白調書の日付記載によれば一見明らかなように、自白が始まったのは六月二十日であるかのようである。そして将田、長谷部、青木、関らの取調官は当審において、それに符合する証言をしている。三人説自白が六月二十日に始まり、一人説自白が六月二十三日に始まったことに疑いを投ずること自体が無理なように一見されるのである。

しかし、注意深く事案の真相を究めようとすればするほど、自白の始期が、再逮捕されてから約一週間後位であり、六月二十三日頃に三人説自白を始めた旨の被告人の当審供述の真実性が強くなり、自白調書の日付記載や取調官証言は信用出来ないことが解明されてくるのである。

1.三人説自白の始期とされている日には、弁護人が面会しているだけでなく、裁判官の勾留質問において、被告人は「善枝さん殺し」を完全に否定していること。

六月二十日、被告人が川越署分室で川越簡易裁判所・平山三喜夫裁判官の勾留質問に対し答えているところは、当審二十九回公判で提出されたその調書によって明白となった。「被疑者は、事実(善枝さんのこと)は知りません、事件を起こしていないという事をお話しするという意味のことを話しただけで、裁判所へ行っても善枝さんのことについては知らないから知りません、と答えた」旨記載されている。被告人は当審二十六回公判で「川越警察署で裁判官の調べを受けたのは絶食をはじめた前後頃で、裁判官から “石川君は善枝さんを殺していないですか” と言われたので、殺していません、と言ったら、署長さんから聞いていたらしく、“三人でやったというのは何ですか” ということを聞かれたのです。それで、もし聞きたかったら裁判所に連れて行ってください、と言った」旨述べていた。この供述と右勾留尋問調書記載とは全く一致しており、「もし聞きたかったら裁判所に連れて行ってください」と被告人が述べたので裁判官が「裁判所に行けば、善枝さんのことを述べるつもりか」と聞き返したところ、被告人が「三人でやったというのは別のことで善枝さん殺しはしていないから知らない」旨述べたことが、勾留質問調書の被告人の最後の供述記載となったのである。裁判官にこのように明確に答えているところからみて、同じ日に被告人が自白するとは到底考えられない。ちなみに被告人が裁判所へ連れて行ってくれれば三人でやったことを話す、と言ったのは、石田登利造、北田収と一緒に昭和三十七年、ジョンソン基地からパイプを失敬してきたことで、本件とは全く関わり合いのないことであった(被告人当審三回公判供述)。

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