【公判調書1732丁〜】
「被告人の五月一日、二日の行動について」 福地 明人
三、次に五月二日の被告人の行動について触れたい。被告人は当審公判廷において、この日は午前中、家で犬小屋を作っておった。昼過ぎの一時頃から川本、石川ら友人と狭山劇場へ映画を観に行った。そして六時過ぎに家へ帰って来たと述べている。もし原判決の言う通り、前日の五月一日にあのような残虐な犯罪を犯したとするなら、この日の被告人の行動はあまりにも平和である。一緒に映画に行った川本保男証人は、当日、被告人の態度に特に変わったところはなかった、被告人が逮捕されたのは自分にとっては思いがけないことであったと証言している。事件のことは何も知らず午前中は犬小屋を作り、午後は友人らと和やかに映画見物に出かけた被告人の姿があざやかに眼に浮かぶのである。被告人は、その時見た映画はこまどり姉妹が出ていた「みれん心」という題であった、その映画はものすごく可哀想だったんです、と述べている。これは犯人の抱く感情とは全然異種類のものである。ところで、原判決は、五月二日夜(正確にいうと五月三日午前〇時十分過頃)、被告人が佐野屋前に出向いたが、附近に人のいる気配を感じて逃走したといっている。被告人が何時頃家を出たのか、そして何時頃家にに戻ったのかについては何も触れていない。被告人の家の入口の戸は、開閉の度にガタガタ大きな音がする。しかも深夜に開けるのであるから、そうっと開けても相当な音がするはずである。当時、この音を家族の誰も聞いていない。被告人はその夜、すでに寝ていたのだから聞こえるはずがないのである。特に、当時九時頃には眠っていた父の富造は、夜中になるとかえって眼ざとくなっていたということであるが、そのような音を全く聞いた覚えがないと言っている。
四、以上のように、被告人の五月一日、二日の行動については、被告人自身の供述が極めて信用度の高いものであり、更にこれを裏付ける数々の証拠がすでに顕出されているのである。被告人は明らかに事件とは無関係である。そして、このことは、今後の審理で益々明らかになるものと確信する次第である。裁判所は、この被告人の供述に謙虚に耳を傾けてその真実性を見究めて頂き度い。
*以上で、福地 明人・「被告人の五月一日、二日の行動」の引用を終え、尚且つ"狭山の黒い闇に触れる" 455回目より引用してきた弁護人らによる意見陳述も今回の552回目で引用完了となる。次回から、この意見陳述に対する東京高等検察庁検事の意見を引用する予定である。ちなみに公判調書上の文章構成では、これまでの弁護人意見陳述と、これから始まる検事意見との間に、「第七回検証調書」や証人尋問が存在するという、非常に込み入った構成になっており、便宜上、わかり易いよう順序を組み替え引用する事にした。なお検事意見は、これまでの弁護側意見陳述に対する意見と、前述した「第七回検証調書」に対する意見とを同居させた(一応項目で分割させてはいるが)文章構成をとっており、この様な発想はどうすれば生まれてくるのか凡人にはわからない。解決策としては、検事意見をそれぞれ意見陳述に向けたものと、「第七回検証調書」に向けられたものとに分割、引用してゆくが、その順序としては次のとおりである。
①検事意見(弁護人の意見陳述に対する文章)
②第七回検証調書
③検事意見(第七回検証調書に対する文章)
・・・暇つぶしに、低学歴者には難解な調書の構成を図にしてみた。図面は、左から右へ公判が進むこととし、左端の弁護人意見陳述(1732丁)が本日の引用文となる。このまま引用を進めると、これに対する検事の意見がだいぶ後になり(第七回検証調書が挟まれる為)、さらに横山ハル、横田権太郎の証人尋問などが記載され、結果的に分かりづらい。なるべく問答的な文章はそれぞれを直結させたく考察し、今回から引用順序を入れ替えてみることにした。
さて、公判調書とは甚だしく読む者を拒むものであり、まるでそれを見てはならず、興味を持つなどとんでもない、たとえ見たとしてもあなたには理解できませんよ、という一般大衆拒絶型文書として非常に高度な、類を見ぬ、極限に達するも、なお突き抜け完成された記録物であることが今更ながら確認できた。