【公判調書1576丁〜】
「狭山事件の特質」
中田直人
第二、被告人の主張
『被告人は、善枝さん殺しにはまったくなんの関わり合いもない。被告人は言う。
「五月二十三日、狭山署に逮捕され、善枝さんを殺したろう、と聞かれ、逮捕理由となった窃盗などよりは善枝さん殺しの方が長かった。盗みなど悪いことは全部話そうと思い、話したが、それらの取調べは六月初めで終った。ウソ発見器に二回かけられ、“機械にも自分がやったと出ていた”と責められ、署長からもそう言われた。弁護人以外に、弁護士という人や狭山市長と名乗る人が来て “殺したかどうか” などと聞いたこともあった。取調べに当たっていた山下、清水らから “殺して木の根っこに埋めても、親父には逃げたと言っておけば、我々は警察官だからわからない” と脅かされた。又毎夜、善枝さんの絵を作ってハサミで腕や足を切って見せたが、怖かった。長谷部らは “言えば親父にも会わせてやる” と言ったり、“九件も悪いことをしているからそれだけで十年はかかる。殺したか、手紙を書いたかどっちかを言えば、十年で出してやるから言え” と責めた。六月十日過ぎ、朝八時から夕方四時まで長谷部らが休んで、三人の刑事から物凄くいじめられた。“善枝ちゃんを殺したことを話せ” と髪の毛を引っ張ったり、肩を突いたり、台を叩いて物凄いでかい声を出したりした。その晩、諏訪部が泣きながら手を握って “石川、殺したと言ってくれ” と言った。“狭山の人間だから悪いようにしない” と言った。翌日、長谷部、遠藤らが “昨日はひどい目に遭ったらしいね” と言った』(続く)
*ところで、現在公判調書より引用中の主任弁護人=中田直人による「狭山事件の特質」という論考は、市販されている狭山事件関連書籍ではほぼ触れられていない。主任弁護人という立場で書かれた論考は、弁護側の持つ全情報より抽出された、かなり確度の高い内容と判断できよう。さらに、行間を読む努力を重ねると、この論考が単なる事件の概略を書いたものではないことに気付く。
さて、昨日は河川敷の野良猫たちに別れを告げた後、川越市内に潜入した。速度を上げ過ぎ自転車のチェーンが摩擦熱で焦げ臭い。喜多院なる寺に着き素早く監視カメラの有無をチェック、本堂へ向かう。目的は厄祓い、および金運上昇の祈願である。ピカールで磨き上げた百円玉を賽銭箱に入れブツブツと祈願内容を語りかける。イカン、目付きの悪い坊主二人がこちらを注視している。人相を覚えられぬよう顔を背けそそくさと退散する。
・・・元旦からの営業であろうか、テキ屋による屋台が並んでいる。
どこか懐かしい風情であるな、などと思いながら写真右側の白シートに目を向けたところ・・・。
ただならぬ落書きを確認、ここは西成かと警戒を強める。
次に赴いたのは成田山川越別院。徹底的に厄祓い、および金運上昇を願うのだ。貴重な百円玉一枚と数枚の一円玉を賽銭箱に放り、眉間にシワを寄せ歯軋りしながら祈願を行なう。
「健康、健康、健康」「金、金、金」と約五分ほど全霊をかけ祈る。ここでも、我が挙動を監視していた坊主たちが慌ただしくどこかへ電話し始めた。一人は私を指差している気がし、ブルン、ブルルルと重厚な排気音を口にし、愛用の自転車を漕ぎ出した。昔はガチな唯物論者であった老生も、気がつくと社会的弱者に多い観念論者に成り下がっている。こんな時は大藪春彦作品を読み、現金強奪計画を練ったりすることが最良の治療法かも知れない。