アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 522

【公判調書1666丁〜】

第二{脅迫状の疑問点}                                   橋本紀徳

五、加入訂正文字をめぐる謎

脅迫状と封筒の文字に加入訂正の跡が顕著に残っている。脅迫状は第一行目「子供の命がほ知かったら四月二十八日の夜十二時に」とあるうち「四月二十八日」が抹消されて「五月二日」と訂正され、第二行目「金二十万円女の人がもッて前の門のところにいろ。」とあるうち「前」が消されて「さのや」と加入がある。第一行目の上欄に「少時この紙につつんでこい」とあるうち、少時の部分が乱暴に抹消されている。

封筒は表面の「少時様」が棒線で乱雑に抹消され、別に「中田江さく」と宛名らしきものが書かれている。これらの加入訂正は、いつ、どこでなされたのか。

六月二十五日付の警察官に対する自白調書第五、六項によると、殺害した場所から二十メートルくらい離れた所で夕方まで考えた挙句、善枝さんの家に脅迫状を届けてカネを取ろうと決意し、ここで脅迫状を書き直し、それから死体を芋穴の所まで運び、縄を探しに行ったとある。ところが六月二十九日付の警察官調書第十六、十七、十八項では、殺した後二十メートルくらい離れた檜の下で考えた挙句、死体を芋穴の側まで運び、一旦そこへ死体を置き、今度は大きな杉の木の下へ戻って、そこで脅迫状を書き直し、それから縄を探しに行ったとある。七月一日付の第二回検事調書第六項も右と同旨で「芋穴の附近に善枝ちゃんを仰向けにしておき、杉の木の下に戻って、そこでズボンの後ろのポケットから脅しの手紙を出して、封筒に“中田江さく”と書き、中の手紙も月日を書き直し」伝々とある。

いづれも殺害後に書き直したと云う点では一致しているが、一方は書き直した後で死体を芋穴に運んだと云うのであり、他方は死体を芋穴に運んでから一旦戻って書き直したと云うのであるから、かなり重要な食い違いがある。これはどちらかの単なる記憶違いでは済まされない。特に前記七月一日付検事調書は矛盾した面を持っている。つまり同調書の第六項の冒頭では「色々考えましたが、殺して善枝ちゃんをこのままにしておけば、直ぐに判ってしまうので、一先ず善枝ちゃんを芋穴に隠して」伝々と云いながら、繁茂している雑木林から遮蔽物のない畑に死体を運び出し、そのまま放置して手紙の書きかえと称して再び林の中に戻っているのである。芋穴に隠してから、そこでゆっくり書きかえると云うなら話は自然であるが、隠すため死体を一旦運び出したのにも関わらず、そこでその作業を一時中断し、農道脇の畑に死体を放置し、ある意味では急を要しないところの手紙の書きかえに戻ると云うのは理解しかねる不自然さを含んでいる。

このように自白は脅迫状を書き直した時期が曖昧であるが、さらに不思議なのは脅迫状を書きかえた場所に関連してその方法である。いづれの調書によっても書きかえた場所は雑木林の中、檜の下か杉の木の下である。すると何を下敷きにして書きかえをしたのであろうか。この点について自白は一切触れていないのである。加入訂正の文字は脅迫状、封筒共々かなり筆圧痕が高い。三十八年六月十一日付の長野勝弘の筆跡鑑定には「五月二日」、「佐野屋」の加入文字は特に筆圧が強いと述べられているのである。下敷きがなければ筆圧を強くして書けないことは自明であるから、本件の脅迫状の加入訂正は何か適当な下敷きを置いて書かれたものであろう。殺害現場附近の雑木林の中に適当な下敷きがあったろうか。なにもない。自白がこの点について全く触れていないことは、自白の云う加入訂正の時期・場所に強い疑惑を呼び起こすのである。

次にもう一つの謎は加入訂正をした筆記用具である。これは兄六造の万年筆式ボールペンであると自白にあることはすでに述べたが、果たして加入訂正の文字はボールペンで書かれたのか。外見からすると封筒の「中田江さく」などは万年筆もしくはつけペンで書かれたような感が強い。前記長野勝弘の鑑定書中にも「また封筒表面の中央部には抹消箇所が認められて、その下方部と裏面には“中田江さく”、“中田江”などの文字が三箇所、縦書でペン書されている」とあり、同じく本件脅迫状の筆跡鑑定した関根政雄、吉田一雄のボールペンとの認定と食い違っているが、加入訂正が自白の云うようにボールペンでなされたのか、それともそれ以外の筆記用具でなされたのか、疑惑を呼び起こすに足る十分な資料となるものである。この謎は、 本公判廷の今までの審理をもっても未だ解明されていないものである。

また加入訂正は、雨中の屋外でなされたことになるが脅迫状にはその痕跡が少しも見当たらない。この点も加入訂正にかかわる自白の信憑性をいよいよ疑わせるに足るものである。

目から鱗である。今まで狭山事件関連本を集め、読み込んでいたつもりであった。しかし脅迫状を屋外で書き直す時の、下敷きの必要性までは気が付かなかった 。紙に筆記する場合、それなりの筆圧が加わるとなると、確かにその紙の下には下敷きか、その代用とされる物が必要となり、真犯人の供述であれば、その点について述べても何ら支障は無いわけで(罪が加算されるか否か、という点で)、とすると、日常生活に伴う些細な行動の様を思い返し、再び公判調書(特に第一審での被告人の供述)に目を通したなら、新たな矛盾点や不合理、不整合な箇所が発見できるかもしれない・・・。

次回は “ 第三、被害品 ” へ進む。

二点の写真は「無実の獄25年狭山事件写真集=部落解放同盟中央本部中央狭山闘争本部・編、解放出版社」より引用。