アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 523

【公判調書1669丁〜】

第三{被害品}                                                 橋本紀徳

   一、財布

五月一日当時、善枝さんはチャック付の財布を持っていたものと思われる。三十八年五月二日の警察官に対する供述調書の中で、中田栄作は善枝さんの当時の所持品について説明しているが、その中で「財布は青色のビニールの細長いチャックで開閉するもので」、中には一週間前くらいに与えた四百円が入っている筈であると述べている。中田登美恵は原審第七回公判で、善枝の財布はビニール製で横が十二センチ、縦が五センチくらい、色は空色模様で三分の一くらいの所にキップなどを入れることのできる袋が付いており、チャック付、お金を入れるところは一つ、お金は七、八百円は入っていたと思うと証言した。

この財布が事件後どこからも現れてこない。

五月一日の午后三時頃、善枝さんは下校の途中、狭山郵便局に立寄っている。このことからすれば、先程の家族の証言と相まって、当日善枝さんがこのチャック付財布を持っていたことは確からしいのである。(他に財布を持っていた証拠はない)それなのにこの財布は発見されない。普通に考えれば、犯人が持ち去ったものであろうと推測できる。犯人は金が欲しくて行動しており、事実、腕時計や万年筆など金目の物は皆奪い取っている。したがって財布もまた奪い取られたと見るのが自然であろう。しかるに真犯人とされる被告人の身辺から問題の財布は現れず、自白においてもチャック付財布は知らない、なかったと述べているのである(六月二十七日付検事調書第七項及び七月一日付第二回検事調書第三項)。

どうしてであろうか。善枝さんが財布をどこに持っていたか、はっきりしないが、たぶん上衣のポケットのどこかか鞄の中であろう。それ以外財布を入れる適当な場所はない。仮に上衣のポケットの中に入れてあったとすれば「私は女学生の制服の上衣の左右のポケットと胸のポケットを探しましたが、チャック付の財布と云うのはありませんし、盗んでおりません」(前記七月一日調書)と述べている被告人が気付かないと云うことはあり得ない。鞄の中に入れておいたとしても、鞄から教科書類を捨てる際、気付いたであろうし、気付かなければ鞄、教科書などと共に後に発見される筈である。しかし発見されていない。

要するに財布は犯人が気付けば奪い取ったであろうし、気付かなければ、死体もしくは鞄、教科書などと共に発見される筈の物である。発見されなければ犯人によって奪い取られたのである。善枝さんが当日、家に置いてきたと云う事実はなく、五月一日当時郵便局から殺害現場までの間に紛失したと云う証拠もない以上、善枝さんから財布を奪い取ったのはひとり本件の犯人のみである。しかるに、犯人とされた被告人は、財布には気付かず、これを奪い取っていないと云うのであるから、ここでも被告人を犯人と云うには明らかに客観的事実に合致しないと云うべきである。

*次回は “ 二、三つ折財布 ” に進む。