【公判調書1670丁〜】
第三 {被害品} 橋本紀徳
二、三つ折財布
次に問題になるのは自白調書の中でしばしば述べられている身分証明書在中の三つ折財布である。これも善枝さんの所持品であるが、チャック付財布同様まだ発見されていない。この財布については六月二十四日付の第三回警察官調書第三項に「その内財布は確かにありました。この財布は三つくらいに折れるようになっていて、その中に私が善枝ちゃんの家に届けた手紙の中に入れた善枝ちゃんの写真の貼ってある紙が入っていたのですから、私が手に持ったことは間違いありません。そしてこれを三つに折った時の大きさはこの前図面に書いて出した位の大きさに間違いありません。その財布の中に金が入っていたかどうか気が付きません」とあり、六月二十五日付の警察官調書第三項には「その財布は時計と一緒に、善枝ちゃんを松の木に縛りつける前に私が取って自分のジャンバーの右のポケットに仕舞っておいたものです」とあり、さらに同日の検察官第二回調書第四項には「女学生を松の木を後にして縛った時、女学生が持っていた腕時計とポケットに入っていた三つ折くらいになっている財布を盗って自分のポケットに入れました。腕時計は後で質屋に入れようと思って盗ったものです。財布は金が入っていたかどうか記憶していませんが、入っている金は自分で使うつもりでした。その財布は後で善枝ちゃん方に行く途中でどこか失くしてしまいました」とある。
チャック付財布とは違って、この場合は奪い取ったこと自体は認めている。さらにチャック付財布に関する自白は前記検事調書二通のみで極めて乏しいのであるが(なぜか警察官調書がない)、この三つ折の財布に関する自白は多数ある。三つ折財布に触れている自白調書は警察段階で五通、検事段階で六通と多いのである。
さてここで問題になるのは、この三つ折財布(検事はこれを手帳と主張しているが……冒頭)に対する被告人の関心である。つまり被告人は「金が欲しかったので財布を盗り、時計は質屋に入れて金にしようと思って」(六月二十七日付第一回警察官調書第四項。尚七月八日付第一回A検面調書参照)時計も盗ったと云うのであるが、それにしては財布に対する関心が薄すぎるのである。先程援用した六月二十四日の警察官調書では「金が入っていたか気が付きません」、同じく六月二十五日の検事調書では「金が入っていたかどうか記憶していませんが」とあり、七月八日付の検察官に対する第二回調書第一項では「私が盗った時の感じでは三つ折の様に思いますが、金が入っていたかどうか見ていないので」とあって、財布を盗ったものの中身には全く関心を払っていない。六月二十七日付の検事調書第七項では「先程申した三つ折くらいになる財布にお金も入っていたのです。何かと思いましたが帰って開けて見よう思い、そのままポケットに入れたので、お金が入っていたかどうか見ておりません」と訳の分からない記載がある。七月一日付の第二回検事調書第三項では「その財布に金が入っているかどうかは後で家に帰ってからゆっくり調べようと思ったので、見ませんでした」と云う、三つ折財布に言及している十二通の自白調書を通して、財布の中身に触れているのは以上五つの調書のみである。
金額が幾らになるのかはもとより、そもそも財布に金が入っているのかいないのかも確認した形跡がない。金を目当てに財布を奪った者としては余りにも無関心と云うべきである。自白によると、殺害後三十分以上も檜の下で今後の行動を考えたとある。その折、今後の行動のために財布の中身を点検する必要もある筈だし、その機会も充分あった。それにも関わらず、財布の中身をチラリとも見ようとしないこの無関心さは金欲しさに財布を盗ったと云う自白の信憑性を疑わせるに充分である。
さらにこの財布をいつの間にか失くしてしまったと云う点も頷けない。前出の六月二十五日付第二回検事調書によると、被告人はこの財布を腕時計と一緒にジャンバーの右ポケットに入れておいたところ、善枝さんの家へ行く途中紛失したという。ところが七月二日付の第一回検事調書第二項では、紛失は自宅に戻って気が付いたと云うのである。十二通の関連調書中、紛失に触れているのは右の六月二十五日と七月二日の検事調書の二通のみであるが、これが以上のとおり食い違っているのである。前者では「善枝ちゃん方に行く途中」で紛失したと、紛失地点を限定しているのに対し(したがって紛失に気付いたのは善枝さん方から帰る間際となる)、後者では無限定で犯行経路の全部に渡っている。なぜこの様な食い違いが生じているのか。真実を述べているのであればこの様な食い違いが生じる訳はない。
しかしもっと不思議なのは紛失それ自体である。財布は腕時計と一緒にジャンバーの右ポケットに入れておいたものである。腕時計のような円形の金属製の固形物で比較的転がり易い物が留まり、財布のようにビニール製で表面積のある比較的転がり難い物がポケットからとび出すと云うのは考えにくい。財布がとび出すような屈伸運動をしたとすれば、腕時計もまたとび出すのではなかろうか。一つは紛失し、一つは留まっていたと云うのは誠に理解しかねるところである。
さらに、仮に紛失したものとすれば、その後それがどうして発見されないのかも不思議である。事件が大きくなり、連日新聞、テレビで報道され、一時期狭山市内はマスコミ関係者により占領されたかの観があった。機動隊、消防団まで動員して大規模な山狩が行なわれた。とすれば紛失した財布はどこからか出てくるのではあるまいか。それを遂に発見されなかったというのは紛失ではなく何人かの手、つまり真犯人の手によって保管されていると見る可能性を十分に考えることができる。三つ折財布についても、自白の信憑性を覆すに足る以上の矛盾を指摘することができるのである。
*以上「二、三つ折財布」の引用を終え、次回は「三、筆入」に進む。