アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 534

【公判調書1696丁〜】

「自白の生成とその虚偽架空」            弁護人=石田  享

 二、別件による逮捕勾留と自白の強要

(二)別件起訴までの狭山事件自白の強要とその実態

1.被告人の当審供述とその裏付

別件逮捕、別件勾留の間、取調官は被告人に対して終始狭山事件の自白を求め続けた。被告人の当審供述によれば、その取調べの概要は次のようなものであった。

「五月二十三日、狭山署に留置され、善枝さんを殺したろう、と聞かれた。窃盗などより善枝さん殺しの取調の方がずっと長かった。盗みなど悪いことは全部話そうと思ったが、それらの取調は六月初めで終わった。嘘発見器に二回かけられた。二回目のあと“機械にもお前がやったと云っていた”と取調官から云われ、狭山署長からもそう云われた。弁護人以外に、弁護士という人や狭山市民という人が来て“殺したかどうか”などと聞かれたこともあった。取調官から“お前を殺して木の根っこに埋めても、親父には逃げたと言っておけばわれわれは警察官だからわからない”と脅かされた。又、毎夜、長谷部ら取調官は善枝さんの絵をつくって、ハサミで腕や足を切ってみせられた時期があり怖かった。長谷部らは“善枝さん殺しを言えば親父にも会わせてやる”とか、“何件も悪い事をしているからそれだけで十年はかかる、殺したか、手紙を書いたかどっちかを言えば、十年で出してやるから言え”とか責め立てた。六月十日過ぎ、朝八時から夕方四時まで長谷部らが休んで、三人の刑事から物凄くいじめられた。“善枝ちゃんを殺したことを話せ”と髪の毛を引っ張ったり、肩をつついたり、台を叩いて物凄くでかい声を出したりした。その晩、諏訪部が泣きながら手を握って“石川、殺したと言ってくれ”と言った。翌日、長谷部、遠藤らが“昨日はひどい目に会ったらしいね”と言った。山学校の方で俺を見たという人がいるとか、東島が俺と一緒にやったと言っている、お前がやらないと言っても東島が言っているから裁判に行ってお前がやったことになる、と言われた。そうかと思うと河本検事が“兄ちゃんが金子と一緒にやったのだ”と言ったこともある。その時自分は腹が立って茶碗をぶつけようとしたことがあり、この時、河本検事は“三人で殺した”というようなことを書いたので、名前は書かなかった。弁護士から“十八日に裁判所に行く”という話を聞かされたので、自分はそれまで言ってなかった石田登利造(石田一義の長兄、のち昭和四   年十二月    日西武鉄道線路で死亡)ら三人で、ジョンソン基地のパイプを盗んだことを全部裁判所で話そうと思い、竹内狭山署長と関源三巡査に“十八日裁判所へ行ったら三人でやったことを話す”と云った」。

被告人のこうした当審供述は偽計、暴行、脅迫による自白の強要の実態を示すものであるが、同時にその殆ど主要な事実が裏付けられていることが注目される。

(イ)、善枝さん殺しの取調の方が、窃盗などの取調よりも非常に長い時間をかけて行なわれていたことは、後述する通り新調書によってさえ、ほぼ裏付けされており、捜査当局の被告人別件逮捕の目的からしても当然の成り行きであった。

(ロ)また、窃盗などの別件についても六月上旬までに全部供述している。

(ハ)被告人がポリグラフにかけられたことも、被告人を当時取調べた長谷部、諏訪部、将田、原らがいづれも認めているところである。さらに、特にこれら捜査官証言を評価するについては当時警察が被告人をポリグラフにかけることを特に部外に対し秘匿しようと考えていたことをみなければならない。宮地直邦警察庁刑事局長(当時)は、このポリグラフ使用が公けになったことを残念がり、「使用した事実が公表されたことは残念だ。これは埼玉県警本部のポリグラフを捜査本部に持ち込む時、うっかりして報道機関に見つかっちゃいましてね。追及がはげしく説明したわけですよ」と語った(サンデー毎日38・6・30日号十九頁)。こうした警察のポリグラフ秘匿意識からすれば、何回使用したか、その結果を善枝さん事件にどう使おうとしたかの具体的事実について捜査官証人から正確な証言が得られる可能性は乏しいものと見ざるを得ない。それにも関わらず「ポリグラフにかけた。一度は必ずかけているが、二回やったかどうか・・・・・・」という長谷部梅吉当審八回公判証言の存在は、被告人のポリグラフに関する当審供述をほぼ全般的に裏付けるものとして注目されなければならない。ちなみに五月末日近くポリグラフが使用された事実は、宮地警察庁刑事局長の語ったとおり、当時の新聞記事にも現れており(例えば38・5・28朝日新聞など)、それがまさに善枝さん事件取調べのために行なわれたことも明らかである。

(ニ)夜の調べで長谷部が善枝さんの絵をつくって、ハサミで腕や足を切ってみせたことについては、当の長谷部はこの事実を否定するが、遠藤  三当審第三十一回公判証言によれば、長谷部はそういう特技を持っており「よく紙を切ったりするようなことがある」という。然りとすれば長谷部の特技は、被告人が以前から知る筈のないことであり、被告人は、狭山署において経験した事実を述べたものに外ならない。

(ホ)山学校の方で被告人を見た者がいるとか、東島明と一緒にやったなどと取調官に言われたのが、青木当審七回証言、将田当審十三回証言などによる「奥富という植木職」の供述調書に基づくものであることも多言を要しない。

(ヘ)河本検事が「三人で殺した」と調書に書いたので、被告人が怒り署名をしなかったことも「新調書」の一つとして提出された38・6・11河本不成立調書によって明瞭である。

取調官の暴行、脅迫、偽計について、取調官証人がこれを認めようとしないことは他の事件と変らない。しかし、いくら取調官が否定しても、例えばポリグラフの使用、長谷部の紙切り細工好みなどは、すでにかなり明らかになっている。自白の生成過程の実態を一層究明するためには、更に取調官を調べることが必要である。

ちなみに、六月十日頃は被告人に対する別件勾留満期を直後に控えて、検察官を含めた取調官は何としてでも被告人に自白を強要すべく必死になっていた時期に当る。被告人に、署名指印を拒否された6・11(検)河本不成立調書の存在とその記載内容は明らかに自白強要の取調べを物語るものである。(続く)

*ところで本日は三月七日であったか。厳寒期を過ぎ日中の気温も上がり始め、老生の様な堕落志向の者は早く河川敷の仲間と戯れたく、その時を待っている。

(彼等が河川敷の仲間である)

そして日頃、柄にも無く冤罪事件の書物などに取り組んでいると脳が疲れ、やがて低い知能がゆえ気分転換が必要となる。すると、その低知能者が気分転換を行なう場合、何をするか。老生の場合、競馬で馬券を的中させることだ。五ヶ月前に競馬を始めたが、勝つ為には馬券プロの行動にヒントを得ねばと猛烈に考え、今現在、おぼろげながら勝ち続ける秘訣が頭の中で固まりつつある。その秘訣(大袈裟だが)とはレースを選ぶ、である。まずは小倉、中京、阪神、東京、中山などで行われる競馬での、その出走馬の直近の成績を見ることから始める。前走、前前走の成績がすこぶる良い馬が1〜2頭おり、他の出走馬は駄馬しか揃っていないレース、それが馬券を購入して良いレースである。とあるレースで、今述べた前走の成績が良い馬の馬券を買って見ると・・・。

これのみ馬券を買い・・・、

的中。払い戻し金を受け取り、この日は即座に撤収。

直近では、三月四日(土曜)の阪神11R"チューリップ賞"であり、このモズメイメイ(武豊騎乗)のみ馬券を購入・・・。強い馬に武豊が騎乗であるのに、何故か7番人気である。

的中!

払い戻し金を受け取り即撤収する。ここでは簡単に書いているが、勝ちに徹したこういった行動には想像を絶する自制心が求められる。事実、確実なレースが絞れぬため、老生は二週連続で馬券購入を見送っている。こうして、たかが競馬であっても強烈に集中してみると気分転換を超えた領域に踏み入ることが可能であり、後味はスカッとさわやかなのである。

*追記。

翌、三月五日も馬券プロ風な行動がとれた。

このレースも3頭まで馬が絞れた。競馬歴三ヶ月という未熟さが災いし、ここまで絞れた場合、三連複・三連単も購入しておくというところまで頭が回らない。

的中!馬単も買っときゃなぁ・・・。後の祭りである。

勝てば官軍、結果オーライである。