アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 478

【公判調書1585丁〜】

                         「狭山事件の特質」

                                                                           中田直人

第四、証拠評価の態度

2.『第一に、自白が客観的事実と明確に食い違っていることである。当審における被告人の供述によれば、「首に縄を死ぬ前にかけたかどうかを聞かれたが、よく判らなかったので関に相談したら、関は “長谷部らの言う通りに従っていれば間違いない” と言った。長谷部は、“縄も首の縄も源さんのところにあった” と言い、原検事は、“朝日団地の方にあった” と言った」と述べている。長谷部証人も、原証人も、被告人の述べる事実を否定する。ただ、原証人は「死体発見現場から四本杉に向かった茶畑に荒縄が敷きこんであり、それが使われたという話があった。そうだと思っていた。木綿紐の方は、その縄を運ぶとき使ったリヤカーが新しい自動車を買ったので不要になり、捨ててしまったような気がすると、茶畑の所有者が言っていた」と述べている。したがって、原検事が中川方以外から木綿紐を取って来たのではないかと尋ねる可能性は十分にあったのである。とくに、のちに指摘するように原検事は中川方には木綿紐がなかったことを知っていたのであるから、被告人の言うように原検事が他の場所から木綿紐を持って来たのではないかと尋ねたことは、むしろ大いにあり得ることである。関証人によれば、取調中二人だけになって「善枝ちゃんがいかっていたのは、どういう風になっていたのか」と被告人から聞かれ、被告人は首をひねる状態だったというのである。思い出せない状態じゃないかと思う、と関証言はコメントしているが、少なくとも被告人がわざわざ関に死体の状況を尋ねたという事実は関証言自体によって動かないところである。とすれば、当時被告人には、首に縄が巻かれていたかどうか判らなかったという事実だけは疑問の余地がないところだとせねばならない。そして、長谷部証人は当審第九回で被告人を調べる前までに縄も木綿細引紐も出所は判っていなかったと証言する。それにもかかわらず、長谷部によれば「被告人は、自ら出所をすらすらと一部始終発問しないで話した」(第八回証言)というのである。長谷部証言通りとすれば、関証言で裏付けられるような、被告人が関にどうなっていたかと尋ねるような事態はまったくあり得なかったことになるのであるが、被告人が関にわざわざ尋ねてみたという動かない事実がある以上、長谷部証言は信用できないと言わねばならない。とすれば、長谷部証人らの否定にもかかわらず被告人が関に尋ねてみた直後から「縄は源さんのところにあったろう、お前の家から犬をくれてやった家から取って来たのだろう、おれの鼻は犬よりいいのだ、ウソだと思うなら茶碗に触れ、と言って五つのうち一つに触らせ、これを当てて、このいい鼻で縄の出所が判った」と言ったと述べる被告人の供述には、一応耳を傾けてよいということになろう。少なくとも長谷部証人のようにすらすらと縄の点を自ら話したとは認められない』

(続く)

*関証人の証言にある “いかっていた”とは、“埋められていた” という狭山地方の方言らしい。“いける・いけた”とも言う。