アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 535

【公判調書1699丁〜】

「自白の生成とその虚偽架空」             弁護人=石田 享

 二、別件による逮捕勾留と自白の強要

(二)別件起訴までの狭山事件自白の強要とその実態

2. 被告人の「新」供述調書から

被告人は五月二十三日逮捕され狭山署に留置されるや「善枝さんを殺したろう」と聞かれた、と訴えている。私達は当審第二十九回公判で、それまで目に触れることの出来なかった被告人の二十二通に上る供述調書が出されたとき、被告人のこの訴えの真実を改めて確認した。

見込逮捕、別件逮捕のとき、警察が通常、アリバイの取調べから捜査を始めることは、私達は従来多くの事件によって知らされている。例えば昨年末の「三億円」事件のK「容疑者」に対する別件逮捕で、先ず第一にそのアリバイ供述が求められたことは今なお社会一般の記憶に新しい。本件において取調官が被告人に先ず五月一日、二日のアリバイの供述を求めたことは、とりもなおさず「善枝さん殺し」事件捜査に外ならない。新調書の5・24(員)清水調書は、全部五月一日、二日の行動に関する供述記載であり、狭山事件アリバイを追及した取調べの存在を明瞭に示しているし、5・28(員)清水調書も同様の内容である。同じ新調書の6・2(員)清水調書(第一回)の二ないし九頁、6・7(員)清水調書、6・9(員)清水調書(二通)、6・10(員)清水調書、6・1(検)原調書、6・2(検)原調書、6・8(検)原調書、6・9(検)原調書、更に被告人の署名押印のない6・11(検)河本の不成立調書のすべては殺人等の狭山事件取調の爪跡を歴然と示す不動の証拠である。これら十五通に上る狭山事件取調経過を証する調書等の存在は、別件逮捕、別件勾留の実態が明らかに狭山事件捜査に主眼を置いた取調であったことを示している。それのみならず、同じ新調書の6・1(員)諏訪部調書は、狭山事件の捜査を進展させるため、別件で六月四日逮捕した石田一義、東島明に対する別件逮捕状請求に添付する書類として作成されたもので、一審で既に提出された被告人の窃盗等別件公訴事実に関する5・31(員)諏訪部調書、6・1(員)諏訪部調書、6・2(員)清水調書(第二回)と同一の性質で、捜査当局はこれらを参考人調書として逮捕状を請求している。六月四日別件逮捕された東島明自身その当時「五月一日のアリバイがはっきりせず、警察で責められて苦労した」等、狭山事件に関する取調べが殆どであったと述べている(当審第十八回証言)。スコップの所有者とされる石田一義およびその後同じく逮捕された石田義男の逮捕も、狭山事件捜査そのものを進展させる一つのプロセスに外ならなかった。石田一義は、自分が逮捕される前に血液型などの取調べを受けており(同人の当審第十五回証言)、石田義男も、逮捕されて自分の五月一日から三日までの行動を主に取調べられた、という(同人の当審第十五回証言)。

してみれば、被告人、東島明、石田義男、石田一義らに対する別件逮捕は、いづれもスコップ発見とそれに引続き捜査本部がスコップ所有者を石田一義と断定した五月中旬以降の、狭山事件捜査そのものに外ならぬことは、もはや余りにも明瞭である。(引用は続く)

*さて、狭山事件という、あらゆる面で非常に重い問題を抱える事件に触れながら、同一頁に個人的競馬考を同居させるとは不謹慎極まりないことは承知しておるが、今現在老生の脳を支配している事柄は実際その通りであり、こんな組み合わせで恐縮しつつも事実を記してゆこう。前回、競馬に関し調子の良い事を述べたが、実は3月5日中山競馬場における11R、すなわち第60回(GⅡ)報知弥生ディープ記念でその事件は起きた。武豊騎乗のゴッドファーザー。この日の締めにこの馬券を的中させ、晩飯はロースカツ定食(特上)で舌鼓を打とうとほくそ笑んでいたが・・・。

・・・衝撃の10着!なんと最下位、爆沈であった。終わってみれば、やはり己の行動は未熟であり馬券プロの足元にも及ばない事実が痛いほど認識させられた。なお分析の結果、ゴッドファーザーが負けた要因は、1.200mが限界である馬を2.000mで走らせたことによるガス欠であり、その辺りを分析せずに馬券購入に走った老生の脳に最大の敗因がありそうだ。そして、ガス欠に陥った馬では、天下の武豊でも打つ手がなかったであろう。