【公判調書1700丁〜】
「自白の生成とその虚偽架空」 弁護人=石田 享
三、再逮捕、再勾留と自白強要
(一)最大の暴行、脅迫、偽計として再逮捕
特捜本部の「見込み」どおりには取調は進展しなかった。被告人が、狭山事件についての無実を訴え続けたからであった。被告人は六月十三日夕方、狭山事件には一切触れない別件余罪だけで起訴された。しかし当日、渡辺要浦和地検検事正は、別件起訴の発表に際し、被告人を留置して引続き狭山事件容疑の捜査を続けたい旨の捜査方針を明らかにした。警察、検察は、あくまで被告人の「自白」を求め続けることによって事件の「解決」を図ろうとしたのである。そこには強い偏見と予断があった。このことは多くの国民に警察検察に対する不信を抱かせた。翌十四日、衆議院内閣委員会において、このことを議員から追及された中垣法務大臣は、遺憾の意を表せざるを得なかった。
弁護人は、捜査当局のこの不正な手口に対し、六月十四日、浦和地裁川越支部に勾留取消、勾留理由開示、保釈の三請求を行ない、六月十七日、保釈の決定を得た。検察、警察は直ちに被告人を保釈しなければならない筈であった。
しかし検察、警察は、あらかじめ川越署分室を蟻一匹も入れないように修理した上、六月十六日、殺人等による逮捕状をわざわざ小川簡裁という田舎の簡裁裁判官に請求して入手し、被告人に対し再逮捕、再勾留という身柄のタライ廻しを図っていた。ちなみに逮捕状請求者である飯塚栄警視は当時、埼玉県警察本部警備部に職を置き、狭山署に狭山事件捜査のため助勤していたのであるから、管轄裁判所は、埼玉県警本部ならば浦和地裁または浦和簡易裁判所であり、狭山署ならば川越支部または川越簡易裁判所であった筈である。またやむを得ない理由もなく、小川簡易裁判所が最寄りの裁判所であるともいえない。
六月十七日、保釈の執行手続きは同時に被告人に対する再逮捕手続きと重なった。被告人は一度は「帰っていい」と言われたがその場で再逮捕され身柄引受人となった家族や弁護人にさえ会わされないまま川越署分室にタライ廻しされた。川越署分室表面向かって右側の通用門は真新しい材木で囲まれ、その上には有刺鉄線が張られて「立入り禁止」の立て札が立てられ裏木戸も略同様であった。武装警官で内部を囲み、弁護人の接見要求も完全に拒絶された。
この異常極まる再逮捕自体、被告人に対する何よりの暴行であり、脅迫であり、保釈=再逮捕という詐欺同様のペテンであった。それは同時に、被告人の「自白」を何としてでも得ようとする捜査当局が「警察の力こそすべてだ」という威圧感を被告人に現実に味合わせ、且つ弁護人に対する信頼関係を破壊させるための大陰謀でもあった。しかし「自白」は容易に得られなかった。「自白」を得るためには、取調官の様々の手練手管の積重ねによって、被告人を完全に警察に屈服させなければならなかった。(続く)