アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 216

狭山警察署勤務の小島朝政警部が、時計発見現場である狭山市田中に到着し実況見分が始まるが、それに伴い現場整理を行なったかどうか、について飯野源治は「あそこは裏通りですし、多少野次馬が居ましたが車が通りませんから、整理する警察官は必要なかったと思います」と述べる。見分者は小島朝政警部、現場保存し待機していた飯野源治と、司法巡査・本田進、警察主事・小堀二郎ら三名が補助者という体制で実況見分が開始された。補助者とは実際にどういう仕事をするか、について飯野源治は「見分者が順序立てて図面を作ってゆくのについて、基点を設けたり発見場所の確定をしたり写真を撮ったり巻尺で距離を測ったり、というようなことで補助しました」と説明する。時計発見場所近くで茶株に埋もれていた、泥で汚れたビニール片を「その後は見ておりません」と語る飯野源治は、小島朝政警部らが到着してから実況見分がどういう順序でなされたか、次のように述べる。「外周から中へとやって行きました。距離関係の測定をし併せて写真を撮影するまでいう順序で、周囲の関連事項を全部調べてから最後に時計を取り出す、というのが実況見分の順序なので、そういう順序でやったと思います」。 弁護人が「あなたは田中の辺りで時計の捜査に当たったことがあるでしょう」と尋ねると、飯野源治は「当たっております」と答え、この時計発見より二日ほど前に“ 田中の辺り ” を捜索していたことを口にする。(続く)                                                                            

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(腕時計発見現場。写真は『無実の獄25年』狭山事件写真集・部落解放同盟中央本部中央狭山闘争本部編・解放出版社より引用)