アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 217

被害者の所持品と見られる腕時計。これが狭山市田中で発見されるが、その二〜三日前に田中周辺を捜索したと飯野源治は述べる。「断言は出来ませんが、発見前、多分二日ぐらい、二日と言っても朝から五時までという意味ではありませんが、被疑者の略図に基づく捜索を実施しました」 正確には昭和三十八年六月二十九日・三十日の日付であり、その捜査報告書には「新聞配達をしている人とか牛乳配達をしている人に当たって、その現場付近を何時頃通るか、時計を拾ったことはないか尋ね」「該当者なし」という趣旨の事柄が記載されていた。「被疑者の書いた図面に基づく目的物と認められる物の発見捜査です」と飯野源治は言うのであるが、その報告は載っていないのであった。「五年経っているので当時のことは鮮明に覚えていません」と言いながらも「被疑者が図示した道路上の真中という所に捨てることは常識上ちょっと考えられません。確率からいうと半分ガセで半分真実という判断のもとに捜索しました」と述べ、弁護人の「それであなたとしては、あまり熱心に調べなかったのですか」の問いには、「捜索ですから手落があってはいけませんので一応図示された範囲、それに例えば牛乳配達が時計の落ちているのを知らずに車で跳ねた場合に、側溝の方に飛んだとか茶株の根元に飛んだとかいうことを想定して、そういう及ぶ範囲のところ、何かの原因で移動する範囲のところを捜したわけです」と語り、私はこの飯野源治という警察官を侮っていたことに気付き、反省させられた。仕事熱心で好ましい人物のようである。(続く)                                                              

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(写真は『無実の獄25年』狭山事件写真集・部落解放同盟中央本部中央狭山闘争本部編・解放出版社より引用)