アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 582

【公判調書1815丁〜】

東京高等検察庁検事=平岡俊将の意見

第四、事実取調請求について

一、請求書第一の鑑定

(三)、第一の四の、足跡に関する鑑定請求については、先に昭和四十一年七月十四日付で検察官が提出した「足跡鑑定請求に対する意見書」に述べているとおり、原審記録中の関根政一、岸田政司両名の鑑定書(第四冊の二、一〇三二丁以下)で明らかなように、高裁四十一年押一八七号符号五の石膏足跡と対照したのは、石膏型成足跡中のA6、A7、A9、A11だけではなく、対照足跡の採取、実験においてA16個、B14個を全て実験資料に供した上、鑑定結果を導き出したものであり、また、右四十一年押一八七号符号五の石膏足跡三個が佐野屋付近の現場から採取されたものであることは、原審第三回公判における飯野源治の証言や(第二冊四一八丁以下)、当審における証人将田政二、長谷部梅吉らの証言で明らかなところであるし、なお足跡採取を明らかにするため原審で検察官が飯野源治、小川実作成(三十八年五月三日付)の現場足跡採取報告書の取調を請求したが(原審記録第一冊六二八丁以下の検察官請求証拠目録〈一〉番号一四〇参照)、弁護人の不同意で提出することができなかった事情にある。従って弁護人請求のこの鑑定も必要はないと考える。

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二、請求書第二の提出命令等

(一)、本件の証拠品である万年筆、身分証明書、脅迫状、封筒をはじめ、教科書、ノート等の指紋採取状況とその結果等に関する関係書類は、提出命令を待つまでもなく被告人、弁護人の同意があれば別紙証拠調請求書のとおり検察官より取調べを請求して提出する(但し、自転車については当時同じく指紋採取をして検出できなかったことは当審第十二回公判における将田政二の証言でも明らかであるが、現在その書類が見当たらず調査中であるから判明すれば追って請求する)。

昭和三十八年六月十八日付小島朝政作成にかかる捜索差押調書は、原審においては当日差押えにかかる物件を特に証拠調請求する必要がなかったので、その手続に関する右調書も提出しなかったに止まるものであるから、被告人、弁護人の同意があれば同様提出命令の必要はなく別紙証拠調請求書のとおり取調べを請求する。

(二)、同三の証拠開示については、第二十八回公判(四十三年九月二十四日)においても検察官より釈明したとおり応じ難い。

検察官は原審においても多数の証拠申請をしたことは前記目録のとおりであるが、殆ど弁護人の不同意により不提出に終わっている状況である。そして当審に至って弁護人からこれらの内、改めて立証事項を指定して提出を求められたものがあり、検察官はこれに同意して第三十回公判で裁判所へ提出した(例えば、前記目録の(一)番号二一〇の三十八年六月三十日付神田正雄作成の実況見分調書、番号二〇三の同年七月二日付中川えみ子の河本仁之に対する供述調書、番号一八七の同年六月二十七日付野口清之丞の梅沢茂に対する供述調書、番号一八八の同年六月二十八日付上野俊幸、梅沢茂作成の捜査報告書等、いづれも当審記録第一七冊に編綴)のであり、また右(一)、のように弁護人から具体的な指示があれば、検察官としては調査しその証拠書類のある限り取調を拒否する態度をとるものではないが、唯、抽象的に何かがあると思われるから手持全証拠の開示を求めるということでは検察官としても応じようがないし、また、これに応じる理由も必要もないものと考える。

弁護人においてある程度具体的に指定し、そのような証拠を裁判所の判断の資料にするため、双方の有利、不利に関わらず公正な証拠調を経て証拠にすることを前提として裁判所に提出を求めるということであれば、それはそれなりに公正な立場から納得できるし、これに応じる途もあると考えるが、唯、抽象的無差別に全証拠開示ということでは検察官として納得し難いのである。

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○続く。

事件当日、被害者が通学で使用した自転車は、やがて本人の自宅物置で発見され、これは犯人が脅迫状とともに持ち込んだとされている。上記、二の(一)で明らかなように、この自転車から指紋は検出されていない。となると、つまりこの事件における証拠物に石川一雄被告人の指紋は一切付着していないことが明確となるわけである。

①被害者の自宅物置。

②被害者の自転車。(写真①②は共に"無実の獄25年・狭山事件写真集=部落解放同盟中央本部中央狭山闘争本部・編、解放出版社"より引用)