アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 504

【公判調書1621丁〜】

 

三つの「証拠物」                                              宇津泰親

〈 万年筆 〉

三、捜査当局は六月十八日、第二次家宅捜索を実施している。当審の小島朝政証言によれば、この第二次捜索は、万年筆、鞄、時計といった重要な被害品の発見が直接目的になった。そして当日朝六時頃から約二時間を費やし、捜査官は、第一次の十二名よりさらに二、三人多かったというのである。目的の物件は贓品であり、かなり容積の小さな物もある。したがって再び被告人宅は、第一次よりもさらに全面的に細部に渡って徹底的に捜索されたことは自然の成り行きであった。それにも関わらず、目的の被害品は発見されなかったことは明らかである。

しかし、小島証人は弁護人の訊問に対し、「被告宅には、鴨居というような個所はそうなかったけれども、ある部分もあった」と述べた。小島は第一次、第二次とも総指揮者である。そして右証言は、被告人宅は鴨居という個所はそう多くはない家であるが鴨居はあるにはあったと認め、且つ、どの位置にその鴨居が存在したか知っていることを含む証言である。さらに小島証言によれば、第二次捜索は、捜索漏れのないように予め捜索分担を決めてやり、捜索の最後に、捜索員に全部終わったかと確認して打ち切っているのである。これだけの状況を指摘するだけでも、問題の鴨居は当然捜索され、その結果は万年筆も何もそこには発見出来なかったと考えるのが合理的であろう。

被告人の兄六造が第二次捜索の状況について述べている証言によれば、捜査官は問題の鴨居を捜索し、その際、その鴨居のネズミ穴に突っ込んであったボロ布などをつまみ出して調べ、そのボロ布を板の間に放置して引き揚げたことがうかがえるのである。

しかるに、原判決は、この第二次捜索には手落ちがあり、鴨居は捜査官の盲点であったと強引に認定した。しかも捜査官の盲点であったことの補強として、被告人の家族も、後日万年筆が鴨居から「発見」されるまで、その鴨居に万年筆が隠されているのに気付かなかった模様であるとまでいっている。こういう原判旨は、もはや検察・警察の筋立てに盲従し、この家宅捜索の問題点の解明を避けたものであり、それによって生じた弱点をなりふり構わず弁解し「合理化」する態度であると言わざるを得ない。

当裁判所は、原判決の常識外れのこじ付けを排斥すべきであり、再び不公正な事実認定に逃避すべきではない。

*次回〈万年筆〉四へ続く。

写真は五月二十三日、第一回目の家宅捜索。(無実の獄25年狭山事件写真集=部落解放同盟中央本部中央狭山闘争本部・編、解放出版社より引用)