【公判調書1622丁〜】
三つの「証拠物」 宇津泰親
〈 万年筆 〉
四、ところで、この第二次家宅捜索については、捜索差押調書が作成されたことが、小島証言により明らかである。しかし何故か検察官は、原審以来この第二次捜索に関する調書を証拠請求せず、弁護人からの開示要求に対しても応じないのである。第一次、第二次に渡る家宅捜索にめぐり、以上述べた諸々の疑惑が濃厚であり、それがそのまま第三次捜索によって、万年筆が「発見」されたという筋立てに対しても重大な疑惑を投影しているのである。
五、次に、六月二十六日の第三次捜索、すなわち万年筆の「発見」経過そのものの異常さを指摘しなければならない。
この時の捜索は、小島朝政、将田政二、小沼二郎の三人だけで行った。そして兄六造に小島が指示して鴨居のところを捜させ、裸の指で万年筆を取り出させたことになる。このやり方は、現場で小島が思いついてやったと証言している。万年筆にはプラスチック、金属部分があるから、もしこの万年筆が、善枝の指紋は勿論、あるいは犯人の指紋など、いずれにせよ、捜査上極めて貴重な指紋が検出される可能性を持っていた筈である。
しかるに、この無造作な捜索のやり方はどうしたことであろうか。当審小島証言はその「理由」を語っているが、それがまたはなはだ振るっていると言わなければならない。
(1)まずどうして三人だけで出かけた上に、六造にわざわざ万年筆を探させたかについて、
「三人だけでは、逆立ちしても家の中を捜し切れない。家族に捜してもらった方が効果的」
と言うのである。しかし本気で万年筆、長靴、少女雑誌を捜索差押するつもりで、しかも前回、家族にさんざ罵倒されたというならば捜索協力を拒否される危険があったのだから、それに相応した規模の捜査員を動員すれば足りる、否その必要性が大きかったのでなかったか。
(2)当の万年筆からは指紋検出できないと断定する資料は何もなかった筈ではないか。それとも、検出してはならない指紋が検出されることを恐れたのであろうか。何故に、小島朝政はこじ付けに終始しているのであろうか。真の理由は、他に隠されているというべきではあるまいか。小島証言を検討すればするほど、もし万年筆の採取を、指紋検出を予定して慎重に行ないそして指紋検出を行なったならば、全くわれわれの予想外の結果を生んだのではなかろうか。そして警察当局は、何らかの理由によってそのことを知っていたのではないかと疑わせる余地を残すばかりである。
*次回、〈万年筆〉六 ヘ進む。
○六月二十六日、万年筆を発見・押収し被告人宅から引き揚げる捜査員たち。第三回目の家宅捜索に要した時間はわずか二十四分であった。
捜査員は万年筆発見時、それを兄の六造氏に素手で取らせている。重要な証拠品を第三者に素手で取らせるとは捜査手法の掟破りも甚だしい。これほどまで無謀な手段を取った理由、それはこの万年筆から関源三巡査部長の指紋が検出されぬよう、六造氏の指紋で覆って仕舞おうという算段だったのではないか。・・・あくまで推測であるが。(写真は“無実の獄25年狭山事件写真集=部落解放同盟中央本部中央狭山闘争本部・編、解放出版社”より引用)