アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 506

 【公判調書1623丁〜】

三つの「証拠物」                                              宇津泰親

〈 万年筆 〉

六、ところで、万年筆が本当に被告人の自供によって発見されたのかを吟味する必要がある。被告人は当公判廷において、むしろ長谷部から、万年筆が君の家にあるぞという風に言われていると供述している事実がある。しかもその時期は、単独犯自供になる頃とも言っている。そして万年筆とはゆかりの無い、靴墨をどこに置くのか、とか軽便カミソリの置き場所についての問答があったというのである。この事実は、警察は被告宅に万年筆があること、しかも鴨居にあることまで知っていたことを物語るものであろう。被告が書いたという図面は、被告人が万年筆を隠した場所というのではなく、取調官たちから靴墨やカミソリを置く場所を聞かれてその場所を示したに過ぎないことをも示すものであろう。こうなると、あくまで被告人宅から被害品の万年筆が発見され、かつその発見が被告人の自供に基づくものだという筋立てを考えた捜査当局の誰かが、第二次捜索から第三次捜索までの間、鴨居に万年筆を置いた可能性を強く疑ってみなければならない。そしてその疑いの焦点を当ててよいのは、例の関源三巡査部長である。彼は、何回か差し入れ下着の申し付けということなどで被告人宅に立ち寄っている。この事実は注目しなければならないであろう。

被告人の母リイ、兄六造の証言を総合すると、第三次捜索の数日前に、関部長が珍しく勝手口から屋内に入って、風呂場で洗濯をしていたリイに声をかけ、リイは六造が寝ていた座敷に六造を起こしに行った。六造が起きて勝手場の方に来てみると、関部長が板敷のところに佇っていたので話を交わしたという。いつもなら玄関から入っている関部長がこの日だけ勝手口から入った事実と、すでに警察が入手していた万年筆が、関によって鴨居のところに置かれたのだという疑問は容易に結びつくのである。全体としての家宅捜索の経過に鑑みると、この疑問は決して晴れないのである。

 

以上、被害品とされる三つの証拠物およびそれらの発見経過には重大な疑問があり、その真相究明の道筋は同時に被告人の虚偽の自白の生成経過と深く結びついていることを指摘した。

弁護人は、当裁判所によって、さらに鋭くかつ深い問題意識に基づく事実調べがなされなければならないと信じている。

*以上、宇津泰親弁護人による“ 三つの証拠物 ” の引用を終える。焼酎を飲む手が止まるほどの密度の濃い内容に感服しつつ、この狭山事件公判調書は老生のアルコール中毒を治癒する効果も併せ持つことに気付く。調書への理解欲が、飲酒に対する欲求を上回り始めているからである。うむ、素晴らしい。次回から、橋本紀徳弁護人による “ 「荒なわ」などの物証の問題点 ”の引用に入る。

今回引用した文章を当時の写真に照らし合わせて見る。被告人の母リイは写真左側の風呂場で洗濯をしていた。その右側の勝手場入口へ関源三巡査部長が現れる(写真に写る人が立っている位置)。いつもは玄関前から訪れる関源三が、この日に限って勝手場側に回り込んでいる。母リイが兄六造を呼びに行っている間に、すでに関源三は屋内に上がっていた。やがて数日後、写真に写る人のちょうど頭の上の鴨居から万年筆が発見される。被告人とは草野球を通じて顔見知りであった関源三ではあるが、家の裏側の勝手場に回り込み、さらに屋内にまで上がっていたその意味は何か。(写真は“無実の獄25年狭山事件写真集=部落解放同盟中央本部中央狭山闘争本部・編、解放出版社”より引用)