アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 232

「事実取調請求書」の「請求する証拠の番号」、その6であるが、ここにも不可解な、解明されねばならぬ事柄が記されている。被害者の腕時計は昭和三十八年七月二日に発見されている。だが、それより以前に、すでに石川一雄被告人は腕時計を見せられていたという内容である。石川一雄被告人は昭和三十八年六月二十八日頃、川越署分室で長谷部警視らから被害者の腕時計を見せられたが、その前日、強い雷雨があったと述べている。埼玉県園芸試験場入間川支場長・入子善助の証明書によれば、そのような気象は六月二十九日、又は同月三十日と認められ、したがって石川一雄被告人が腕時計を見せられたのは、発見日とされている七月二日以前である、と弁護側は言うのである。私は昭和三十八年のカレンダーを見てみた。すると該当する日付は七月一日になる。たった一日であるが確かに発見日以前であることは間違いない。しかし、ここで早合点してはならぬのは、警察は被害者の腕時計を捜索するにおいて、被害者の兄・知人と共に時計を購入した店へ赴き同種類の時計を借り出した、という事実があり、となると石川一雄被告人に見せた腕時計は被害者の物なのか、参考品として借りて来た腕時計なのか今ここで判別することは出来ない。この疑問はやがて法廷で明らかになるのか、記憶しておきたい。次に、「請求する証拠の番号」その7であるが、内容は上記の気象状況を補強するための、昭和三十八年八月二十三日付、熊谷気象台証明書が請求されており、「H:証拠物または証書の内容」では、川越地方の六月二十九日・六月三十日における雨および雷電の情報が、降水量のデータを用い証明され「請求される証拠の番号」6の「G」を確固たるものと補っている。                                        
( 写真は “ 無実の獄25年・狭山事件写真集・部落解放同盟中央本部中央狭山闘争本部編・解放出版社 ” より引用 )