アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 580

【公判調書1810丁〜】

(これより引用する文書は〈狭山の黒い闇に触れる・576〜579〉において引用の、弁護側提出「事実取調請求」への返答となる)

東京高等検察庁検事=平岡俊将の意見

第四、事実取調請求について

   一、請求書第一の鑑定

  (一)、第一の一、二の鑑定請求は、結局本件証拠物となっている脅迫状(封筒とも)が被告人の書いたもので、かつ、被告人が中田栄作方へ届けたのであるということに疑いがあるとの主張立証に資する趣旨と思われる。

このことについては、被告人が警察官に対する供述調書(六月二十二日付二回目、同二十四日付二回目、同二十五日付、同二十八日付、同二十九日付等)、検事に対する供述調書(六月二十五日付一回目、七月一日付二回目、同二日付一回目、同三日付等)において屢々述べているところで、その間供述に交錯は見られるけれども、要するに本件脅迫状は四月二十八日に書き、書いた手紙はジーパンのポケットに入れて持ち歩き、本件被害者中田善枝を捕まえたので使ったものであって、五月一日善枝を殺害後、脅迫状の一部や宛名を書き直し、善枝の身分証明書を入れて中田栄作方へ届けたことは一貫しているし、原審公判においてもその通り述べている。そして、原審記録中の関根政一及び吉田一雄両名の鑑定書(第三冊九〇四丁以下)、長野勝弘の鑑定書(第四冊の一.九六〇丁以下)、並びに当審鑑定人高村巌の各鑑定書により脅迫状の筆跡は被告人の筆跡と認められることが証明されている。

弁護人は、これら三者の筆跡鑑定が従来の経験の集積に立つ伝統的鑑定法によるもので、非科学的であり信用できないと主張する。しかしながら筆跡鑑定の方法は色々あり、殊に具体的対象物についての筆跡鑑定では、常に推計学的方法によるのが科学的であるとする当審における戸谷富之鑑定人のいう一般論のみをもって、前記三者の鑑定をすべて非科学的なものであると排斥し去る根拠とはし難い。

戸谷鑑定人のいう相同性、相異性、稀少性、常同性の点も、前記関根ら三鑑定書を仔細に検討すれば、量の相違、表現の異同はあってもその根底には十分加味、検討された上のものであることが認められる。しかも関根政一外一名及び長野勝弘が対照資料とした被告人の上申書、早退届等と、高村鑑定人が対照資料とした被告人の内田裁判長宛手紙、中田栄作宛手紙とは異なるものであるにも関わらず、これらと本件脅迫状の筆跡が同一人の筆跡であるとすることにおいて三者とも同様の鑑定結果となっていることは、その鑑定に普遍性と信用性が認められるところであると考える。

戸谷鑑定も本件の脅迫状については、結論として、「かなりの類似点が見られ、通常の学歴を持つ人の場合には、同一人(被告人)の筆跡であると判定するのにあるいは十分であるかも知れないという印象を受けるが」とし、「本人が学歴低く、日常、字を書くことの殆どないグループに属することを考慮するとき、本人の字の稀少性はグループ中では薄れるため、同一人と直ちに判定することには理論的に同意し難いように思う」というのであって、本件脅迫状の筆跡については通常ならば被告人と同一筆跡であると判定するのが不合理ではないとの趣旨に見られ、同鑑定のとる、いわゆる科学的方法によっても本件脅迫状が被告人の筆跡ではないとの結論をしてはいないのである。

従って右のような観点からと、また、重要証拠物である右脅迫状を、請求のような鑑定をするについてとられる方法によっては毀損、消失等の結果を生ずるのではないかとの虞れも合せ考え、弁護人請求のような鑑定を今更敢えて行なう必要はないものと考える。

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○次回へ続く。

被告人は脅迫状をポケットへ入れて持ち歩き、中田善枝さんを殺害後、その脅迫状の宛名、日付、身代金受渡場所等を書き直し、被害者の身分証明書を同封、これを被害者宅へ届けたと、こう平岡俊将検事は言うのだが、しかしこれだけ手間を惜しまずに作られた脅迫状から被告人の指紋は一切検出されていないのである。付け加えればのちに発見されてゆく被害者の腕時計、鞄も同様であり、これらについては、なぜ指紋が付着していないのかと、むしろ検事自身が疑問を抱かないことが不思議ではなかろうか。