アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 528

【公判調書1683丁〜】

「筆跡鑑定について」                                       中田直人

三、「三鑑定の非科学性」

三つの鑑定が、どれも科学的な根拠を持ち得るものでないことは、戸谷鑑定の教えるところと対比すれば、すでに十分明白となっている。特に、捜査段階で警察の手によって作られた関根・吉田鑑定、長野鑑定の二つには、鑑定の科学性を言うもっと以前の問題が含まれているようである。

二つの鑑定は、二つとも鑑定資料を全く共通にしている。脅迫状と封筒、五月二十一日付の被告人の上申書、それに被告人の早退届四通である。関根・吉田鑑定の方は、五月二十一日付の鑑定嘱託によって、翌五月二十二日鑑定に着手し、六月一日終了したという。長野鑑定の方は、五月二十二日付の鑑定依頼によって、これまた同じ五月二十二日に着手し、六月十日終了したという。全く同じ四つの資料が、同じ日から埼玉県警本部鑑識課と科学警察研究所のあい離れた二箇所に存在し、同時に鑑定の対象とされたということはあり得まい。鑑定が実際にどのような経過でなされたのか、この一事だけからも不審がある。それらは、今後の審理で明らかにされる必要がある。

しかし、このことよりも重大なのは、将田政二証言が、筆跡対照の当初の資料は早退届だけであったが、字数が少なく断定できないので、被告人に上申書を書かせたと言い、青木一夫証言が、筆跡鑑定の中間回答によって被告人の同一筆跡との結果を得、五月二十三日被告人を逮捕したと言っていることとの関連である。

第一次逮捕の逮捕状は五月二十二日請求され、即日発布されている。青木証言の中間回答なるものが、関根・吉田、つまり県警本部鑑識課からなされたか、科学警察研究所の長野からなされたか、あるいはその両者からなされたかは明らかでないが、いずれにしても鑑定に着手したその日に脅迫状の筆跡は石川一雄のものであるという結論が出てしまっているのである。中間回答であろうが最終結果であろうが、事柄の本資(注:1)に差異はない。いやむしろ、鑑定着手のその日に結論が出ているのに、鑑定終了が六月一日であるとか六月十日であるとか麗々しく鑑定書に書き留めているそのことに、これら鑑定の実態が暴露されている。両鑑定がどのように最もらしく鑑定経過を説明しようとも、また、いかに確信あり気に文字の異同識別や「精密検査」の結果を語ろうとも、それは、ただただ予め与えられている結論(つまり脅迫状は被告人の筆跡であると回答し、その結果として被告人を逮捕してしまったということ)に辻褄を合わせるだけの作業に過ぎなかったからである。両鑑定は、このことによって自らの非科学性を実証したといってよい。

*次回へ続く。

(注:1)原文となる公判調書には「本資」と印字してあるが、「本質」が正解ではないか。「本資」という語句を調べると「もとで」という読みで、その意味は引用中の文の文脈とは全くそぐわない。