アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 526

【公判調書1677丁〜】

「筆跡鑑定について」                                       中田直人

一、本件における筆跡とその鑑定の位置づけ

一通の脅迫状が被害者の自宅へ投げ込まれた時から、狭山事件における犯罪の存在が明らかとなった。脅迫状とその封筒が、真犯人への最も重要な手がかりであることは言うまでもない。

そこには指紋があったはずである。関根・吉田鑑定者がそのことを明らかにしている。脅迫状やその封筒に限らず、本件の各物証には、容易に指紋が採取されたと思われるものがあるのに、指紋の採取とその結果が何一つとして法廷に明らかにされていない。被告人の無実を明らかにするうえで、このことは重大である。しかし、ここでは、この問題にこれ以上触れない。そこにはまた、人間によって書かれた文字がある。しかし、総数二百八十に及ぶ、かなりの数の文字がある。筆跡が個々人にとって特有のものであるならば、これは極めて重要な物的証拠である。そして、点と線との大小さまざまな組み合わせによって表現される筆跡について、そのさまざまな組み合わせの中から、個性の差異を発見して、異同識別するための筆跡鑑定がある。筆跡鑑定が十分に、科学的に信頼し得るものならば、裁判のうえでそれが重要な証拠となり得るであろうことも明らかである。

当審証人青木一夫、将田政二によれば、五月二十三日に被告人を逮捕したのは、アリバイがなかったことと、筆跡が同一だという中間的な鑑定結果があったからであるという。捜査当局が被告人逮捕の根拠と正当性を筆跡鑑定に求めたことは明瞭である。被告人に死刑という極刑で臨んだ第一審判決は、自白の真実性を強するものの第一に「中田栄作方に届けられた封筒入り脅迫状一通は、明らかに被告人の筆跡になるものであること」を挙げている。第一審判決が筆跡鑑定にほとんど無条件の信頼性を見出していることもまた明らかである。

筆跡鑑定が裁判のうえで重要な役割を果たし得るのは、それが科学的に十分信頼できる、文字通り科学的鑑定であることを前提とする場合だけである。それは自明のことである。だから、裁判にあっては、常に筆跡鑑定が真に科学的であり得るのか、科学的に十分信頼できるものかを、まず問うことから始めなければならない。脅迫状、特に筆跡をめぐる問題を考える場合、いつも忘れてならないのはこのことである。

二、筆跡鑑定の科学性(前)(*長文ゆえ、前後二分割し引用する=筆者)

裁判で数多く問題となる鑑定のなかでも、筆跡鑑定ほどその科学性が確立されていない分野はない。戸谷鑑定書や、これに添付されている資料、さらには昭和四十二年に法律時報が連載した「筆跡鑑定と裁判」というシリーズを見れば、このことこそ定説であるといってよい。特に我が国の現状は、「現在の日本の筆跡鑑定のレベルは十八世紀のヨーロッパの段階にも及ばない」と、戸谷鑑定人をして嘆かせる程度のものなのである。

筆跡鑑定の科学性が確立されていないということは、分かりやすく一言で言えば、従来の鑑定方法が勘に頼ることから抜け出ていないということであろう。科学の進歩は、主観的判定、勘を追放することによってのみ保障されている。警視庁の町田欣一氏は、筆跡の異同識別を「経験的に帰納するとは言っても、やはり主観に立却した判定に過ぎないし、配字形態や筆勢、筆圧の特徴の異同だけで、二つの筆跡の異同を決定することは困難である」と述べている(科学捜査研究グループ編「科学捜査」百二十七頁・光文社刊)。

どんなに経験を誇示しても、どんなに拡大鏡写真を積み重ねても、異同の判断を結局は勘に求めている筆跡鑑定は、まず科学的証明力を持ち得ないものとして、裁判から追放されなければならない。やや先走って結論をいえば、本件で脅迫状の筆跡が被告人のものであると結論する、関根・吉田鑑定、長野鑑定、高村鑑定の三つの鑑定は、いずれも主観的な勘だけを基礎とする、典型的に非科学的な鑑定である。

ところで、筆跡鑑定が真に科学的であり得るための方法論は、最近数年間、ようやくその研究の緒についた。もっぱら戸谷鑑定人らの努力によるものである。科学的な筆跡鑑定とは何か。戸谷鑑定書が、そのことを分かりやすく、しかも疑問の余地なく示してくれている。指紋による同一人の判定が絶対的価値を持つのは、別人が同じ指紋を持つことはないこと、同一人の指紋は年令や環境によって変わるものでなく、また人工的にも変えることが出来ないことが、科学的に証明されているからである。指紋にあるこの二つの特性は「希少性」、「常同性」とよばれる。筆跡鑑定が科学に近づくためには、全く同じことが要請される。

「二つの文書が同一人によって書かれたものであるかどうかを筆跡によって判定するためには、まず比較すべき文書の中に現れた筆跡の相同(類似)点と相異点を分析し、両文書の中に判定の基準になる固有の筆跡があるかどうかを調べる。次にその筆跡の希少性、すなわち、ある個人の特有の筆跡と認めたものが、二つの比較されている文書だけに見られ、他の人によって書かれた文書には見いだせない性質のものであることを確かめなければならない。更にその『希少性』と共に、個人特有の筆跡と見られるものが『常同性』を持っており、偶然などによるものでないことを確かめる必要がある」(戸谷鑑定書)。つまり「相同性と相違性」「希少性」「常同性」は、筆跡鑑定が客観的証明力を持つためには、欠くことのできない要素である。

*次回、“二、筆跡鑑定の科学性(後)”へ続く。

見るからに不気味な脅迫状。文面は言うに及ばず、この一枚の手紙から放たれる強烈な負圧は、単純な脅迫に終らず、怨念、怨嗟、怨恨、何らかの執念などが感じられる。だが、宛名が訂正されているわけであるから、その怨念は訂正前の「少時様」に向けられていたと考えてみると、新たな推理が生まれてしまいそうである。