アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 529

【公判調書1684丁〜】

「筆跡鑑定について」                                       中田直人

三、「三鑑定の非科学性」

(前回より続く)拡大鏡を使用し、先に述べた筆勢、筆圧、配字、筆順、字画構成につき検査し、「特殊な形状」(関根・吉田鑑定)や、「個性的筆跡特徴」(長野鑑定)を検出する鑑定方法は、ほぼ三鑑定に共通したものである。

高村鑑定は、さらに「拡大写真によって、肉眼では看過しやすい起筆、終筆、線条の震え等の潜在的個性を捕捉」するという。しかし問題は、三鑑定の全てを通して、筆跡鑑定の客観的信頼度を高めるために不可欠な「希少性」「常同性」に関する考察や検討が全くないことである。各鑑定では「顕著な同一性」とか「多数の個性的特徴」とか「偶然の一致とは考えられない符号点」といった言葉が繰り返されている。それなのに、その特徴がなぜ別人には見られない固有のものであるのか、また、果たしてそれがその個人にのみ、いつもあらわれる特性であるのかを、客観的に説得する態度も、その根拠付けも全然ない。早い話が高村鑑定の特徴とも言える「潜在的個性の捕捉」が、高村鑑定のどこに挙げられているというのか、これこそ「潜在的個性」であると「捕捉」され、鑑定書に指摘されているものはただの一つもない。「羊頭を掲げて狗肉を売る」とは、まさにこのことである。三鑑定とも、要は同じような特徴を迸び出してきては、同じだ、同じだと騒ぎ立てるだけなのである。高村鑑定では、僅かばかりの相違点に触れているが、他の二鑑定に至っては、まじめに相違点の検出を試みた跡すらない。これこそまさに町田氏が「論理の飛躍」があるとし戒めたところであり、戸谷鑑定が従来の鑑定方法の非科学性を嘆くところではないのか。とくに関根・吉田鑑定では筆勢、筆圧、「筆致」配字などの同一性の強調が目立つが、これら恒常性の少ない特徴の指摘は、科学的な筆跡鑑定の初歩をさえ弁えないものといってよい。三鑑定が沢山の拡大写真を添えて同一性や類似点を挙げ、文字の異同識別を行なっているその一つ一つを批判する余裕はここではない。いずれ機会を得て私はそれをするであろう。今は三鑑定の非科学性を端的に示す二、三の例を指摘するに止めよう。

まず、関根・吉田鑑定も長野鑑定も、脅迫状は習慣的、無意識に書かれたもので、作為性はないという。ところが高村鑑定人は、脅迫状の誤字、当て字は「筆者自身が正しい文字を知らざるたゆとのみ考えることは出来ない」といい、作為性の疑いを提起している。同じものを見るについても、全く矛盾する結論を持つのである。三鑑定の立場がどんなに主観的なものであるか、この一事だけで明らかであろう。また、関根・吉田鑑定も、長野鑑定も、「五」字第三画の終筆が左方へ跳ねていることを特徴として挙げるが、高村鑑定では、逆に第三画終筆部が相違点として指摘されている(第三画が第四画横線より下方にはみ出しているかどうかで)。

これでは、「五」字における固有の筆癖が何かは、全くわからないことになる。対照資料の違いはあるにせよ、結局は、一方は似ている点を取出してこれに飛びつき、他方はこの点はいささか違うがと、ちょっぴり公正さを仄めかしてみせる、といった程度のものに過ぎないではないか。三鑑定における異同識別のサンプル抽出の仕方がそもそも恣意的なものなのである。

早退届四通はあまりに字数が少ないので、その他の資料、脅迫状、上申書、中田栄作宛の手紙、内田裁判長宛の手紙について見よう。この四つの文書のどれにも含まれている文字は、「い」「か」「く」「け」など平仮名二十四字、「一」「ナ」「月」「日」の漢字四字、合計二十八字であるが、この内、三鑑定ともサンプルとして挙げるのは「か」「た」「な」「は」「ま」「よ」「ら」の七字に過ぎず、関根・吉田鑑定と長野鑑定が共通して取り出しているのは、「い」「す」「を」の三字、長野鑑定と高村鑑定で共通するのは、「ろ」の一字である。合わせて十一字、総字数の三分の一強が取りあげられ検査されているに過ぎない。

三鑑定が全く取りあげなかった字で、四つの資料に共通して字数の多い字に「く」「の」の二字があり、長野鑑定人だけが取りあげているものに「さ」「人」の二字がある。試みに「の」字を見よう。

全部で三十六字(脅迫状十一字、上申書九字、中田栄作宛手紙十三字、内田裁判長宛手紙三字)もある文字である。全体の高さ(a)と巾(b)を測って比率をみてみると、大まかに言えば、脅迫状の方は縦に長い「の」の字で、他の資料、つまり被告人の筆跡はむしろ横に平べったい「の」の字であることがわかる。また、「さ」の字を見よう。

この字も全部で二十八字ある(脅迫状、封筒四字、上申書四字、中田栄作宛手紙十八字、内田裁判長宛手紙二字)。第一画と第二画がそれぞれ水平線に対してもつ傾斜の角度を測ると、脅迫状は、第一画が平均四十五度、第二画が三十四度、他の三資料、つまり被告人の筆跡は、第一画の平均が二十四度から三十度、 第二画が六十五度から六十九度ということになる。これらは顕著な相違点である。脅迫状の「さ」字は、第一画と第二画が鈍角で交わり、とくに第一画の右上がりが第二画の右下がりの角度を上回るほどに著しいのに対して、被告人の筆跡は、第一画角度が浅く、第二画が深く、その交わりは脅迫状の鈍角よりは鋭く、全体が立っている感じである。この点を推計学的に処理すると、両者を異筆と考えることの確からしさが、かなり高度のものであることがわかる。

三鑑定が取りあげなかった他の多くの文字についても同様なことが言える。私は後に資料を付けてこの点を明らかにしよう。三鑑定が取りあげなかった字に、字画構成の中の重要な要素である字画相互の数的関係、角度から、顕著な相違点を多く発見できるのである。

*時折、睡魔に襲われつつも懸命に読み込んでいるわけだが、こういった筆跡鑑定に関する情報は、狭山事件を離れた、例えば老生の趣味である古本購入時の著者サイン本の真贋に役立つかも知れず、侮ってはならない知識として捉え、身構えるのであるが、続きは次回へ。