アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 1426

狭山事件公判調書第二審4248-44丁〜】

                                     『意見書』

                    東京高等検察庁  検事  大槻一雄  

                                                        昭和四十九年二月七日

                                            *

   第十   自白と脅迫状の作成状況

   一   弁護人は、被告人の脅迫状作成状況に関する捜査段階の供述のうち、本件脅迫状の封筒および本文中に記載されていた少時様という宛名が架空の人物であると述べていること、右脅迫状を作成したのは、昭和三十八年四月二十八日午後であると述べていることは、被告人の供述する動機や脅迫状の当初の記載内容から考えて到底措信(注:1)できないし、また、前後三回に亘る被告人方の家宅捜索の結果に徴しても、被告人の供述によれば、当然被告人方に存在していなければならないと思われる脅迫状のものと同様の封筒、脅迫状本文の用紙と同種、同規格の大学ノートで、末尾の紙が四、五枚破り取られているもの、脅迫状を書く際に使用したと認められるボールペンが発見されておらず、しかも被告人が脅迫状を書くにあたって、必要な漢字を選び出す元にしたという「りぼんちゃん」という漫画雑誌は存在しないし、仮にそれが被告人のいう二宮金次郎が薪を背負った写真が掲載されていた集英社発行の雑誌「りぼん」昭和三十六年十一月号に該るものとしても、その中には本件脅迫状中の特異な用語である「刑札」の「刑」という字が記載されておらず、結局、被告人の脅迫状作成に関する自白は、これを補強すべき具体的な物証の裏付を欠くこととなるので、全面的に信用性がないと主張する。

   二   しかしながら、本件脅迫状および封筒に当初宛名とした「少時様」が架空の人物であって特定の実在人を意味するものではないこと、および本件の脅迫状並びに封筒の当初の宛名を書いたのは、四月二十八日午後、被告人方のテレビを置いてある四畳半の部屋においてであることは、被告人が、いわゆる単独犯行の自白をするようになってから一貫して繰り返し供述しているところであって、被告人が本件脅迫状を書くに至った動機、脅迫状の内容、脅迫状を作成してから被告人がこれを持ち歩いていたという状況、並びに「少時様」に該当すると思われる人物の有無についての捜査結果などを総合して考察すると、被告人の右供述は信用に値するというべきである。

   被告人の供述によれば、被告人が本件の脅迫状を書くようになったのは、その年の三月頃、いわゆる吉展ちゃん誘拐事件の犯人が多額の身代金を喝取することに成功したことをテレビ報道で知り、これにヒントを得て、被告人も金が欲しいと思ったのでそれと同じ様に子供を誘拐して金を取ってやろうと考えるようになったからであるというのである。

   一般的にこの種犯罪の伝播性、模倣性ということを考えれば、被告人が吉展ちゃん事件にヒントを得て、右のような考えを抱くに至ったことは極めて自然に理解できるところであるが、そういう発想の多くは、当初漠然とした空想的、夢想的なものとして発生し、それが場合によっては次第に具体化し現実化して事件に発展するという経過を辿るのが通常の形態であって、被告人の場合もその例外ではないと思料される。被告人が本件の脅迫状を書いた段階は、まだ空想的、夢想的な発想の段階にあったものというべきで、そのことは「少時様」というような空想的、童話的な宛名自体に象徴されているというべきである。

   しかも、捜査の結果、被告人の知り得た範囲において、身代金喝取の対象としてふさわしいような「少時」という名前の人物が実在しないことは、当審における捜査関係者の証言に徴して明らかである。弁護人は、長嶋少時という人物が狭山市に居住しているという事実を、当審における捜査関係者の証人尋問の際に縷々(るる)指摘されているけれども、当審証人=飯野源治の第五十回公判における供述によれば、長嶋少時なる人物はその家庭の状況や経済状態の面から身代金喝取の対象としての適格性を欠き、しかも同人方には脅迫状に記載されているような「門」のないことも明らかであるから、本件脅迫状が弁護人の指摘する長嶋少時なる人物に宛てて書かれたものと解する余地は全くない。(続く)

   注:1「措信(そしん)」=信用できない。