【狭山事件公判調書第二審4248-45丁〜】
『意見書』
東京高等検察庁 検事 大槻一雄
昭和四十九年二月七日
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(前回より続く)
つぎに、被告人が本件当時氏名を知っていたと認められる江田昭司は、字を異にするが、名前の発音は「ショウジ」と読まれる上、同人方には門もあり、また当時幼稚園に通っている女の子もいて、身代金喝取の対象者としては適格性がないとはいえない状態にあったところから、本件脅迫状は江田昭司に宛てて書かれたものではないかという見方もあり得ると思われる。しかし被告人は、捜査段階において終始同人方を対象としたものであることを否定しており、また特定の、実在する相手方を意識して脅迫状を書く場合、本文中にあて字を使うことはあり得ても、宛名には本名を書くのが通例であり、しかも、宛名はよほど懇意な間柄ででもない限り、姓を書かないで名前だけ書くということは到底考えられないことであって、現に、本件の脅迫状を被害者方へ届けるに際しても、封筒には不完全ながら「中田江さく」と宛名人の姓と名を記載していることに徴しても、脅迫状の当初の宛名の少時様が江田昭司に宛てたものでないことが明らかである。
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三 弁護人は、被告人が当時、金が欲しかったということを供述調書の中で再三に亘って供述しており、それほど金が欲しく、誘拐を企むほどの者が架空の人物を名宛人とする架空の脅迫状を書いたというのはおかしいと主張するけれども、前述のように脅迫状を最初に書いた段階では、金が欲しいと思い、吉展ちゃん事件にヒントを得て、子供を誘拐して身代金を喝取しようとの考えのもとに脅迫状を書いたものの、その時点ではまだ犯行の構想が身代金喝取の対象を具体化するまでに至っていなかったというだけのことであり、金を欲しいという気持ちと脅迫状作成の時点で、名宛人を架空人名義にしたことが、被告人の当時の考えとしては矛盾するものであったとはいえないのである。
被告人の捜査段階における供述にも見られるように、被告人としては、脅迫状作成後、犯行の構想が具体化した段階で名宛人その他の必要事項を適宜訂正して書き直せば足りると考えていたことが認められるので、被告人の供述はそれなりに十分筋が通っていると言える。右のような被告人の供述が不可解であるというのは、平素、文章に親しみ、文章を書き馴れている者の感覚から言うことであって、日常ほとんど改まった文章を書く機会もなく、比較的やさしい漢字すらも自由に使いこなすだけの素養を持っていなかった当時の被告人としては、脅迫文を作成することがまさに犯行計画を実行に移す上での最も重大且つ困難な仕事であったのであるから、未だ犯行の対象が具体的に特定していなかった段階であっても、とりあえずかなりの努力をして架空人宛ての脅迫状を作成しておこうと思い立ったことは、右のような当時の被告人の心理状態を推測し、これに即して考えれば極めて自然に首肯できることであると思料される。
犯行の対象が具体的に特定していなかったのであれば、脅迫状の名宛人、身代金持参の指定日時、指定場所は空白にしておき、後で、犯行対象や犯行計画が具体化した段階でこれを補充して記載する等ということは、日常、文章に親しみ、且つ、ある程度知能的な仕事に従事している者にとっては容易に思い及ぶことではあっても、そういう生活とはおよそ無縁であった被告人に、そういう考え方が妥当しなかったことは、被告人自らが検事の取調べの際に告白しているとおりである(被告人の七月二日付検察官調書三項末段、原審記録二二七九丁)。
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