アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 1368

狭山事件公判調書第二審4149丁〜】 

                        『筆跡をめぐる諸問題』

                                                                弁護人=松本建男

                                             ♢

第一、[はじめに]

   脅迫状が本件事件において犯行の性格を明らかにし、誰が犯人かを解明するもっとも有力な鍵を提供するものであることは多言を要しない。しかるにこの点について検察官はすでに一審において関根政一、吉田一雄の昭和三十八年六月一日付鑑定書、長野勝弘の昭和三十八年六月十日付鑑定書を提出し、当審における高村巌の昭和四十一年八月十九日付鑑定書を有利に援用されている。

   しかしながらこれら三鑑定はいずれも脅迫状と、被告人が作成した文書とを比較して、前二者はその筆跡が同一人のものであると断定し、高村鑑定書は、被告人が昭和三十八年十一月五日、内田裁判長宛に出した手紙と脅迫状は同筆としながら、同年六月二十七日、中田江さく宛に作成した手紙と脅迫状は、「その特異な文字形態と運筆書法の上によく符号するところが認められ殆ど同一人の筆跡と鑑定されるが、手紙の筆跡が比較的筆勢渋滞している点に疑問がある」としているのである。

   これらの鑑定書に対する批判はすでに中田主任弁護人が第三十七回公判において詳細になされているところであるが、本論においては、昨年八月二十九日第六十六回公判において取調べられた綾村勝次、磨野久一、大野晋の三鑑定書が指摘する方向に沿い、とくに被告人が逮捕期間中に作成させられた被疑者調書添付の五十通の図面の文字記載を参考にして、被告人が逮捕された当時において、三鑑定書が解明している如き脅迫状の作成者が備えていたであろう比較的高い文筆能力とは格段にかけ離れた、極めて低い文筆能力しか持たなかったことを示し、被告人が脅迫状を作成しうる如きことは到底あり得ず、この一点からしても被告人が無実であることを論証しようとするものである。

                                            *

第二、[被告人の当時の筆記能力に関する証拠について]

(一)当審において提出された被疑者調書中の記載。

『38・5・25.昨日も聞かれました中田さんの家え手紙を書いて持って行ったのは私では有りません。私は字はよく書けないし読めませんからそんな事はできません。

38・6・2.私は今まで話してありませんが無免許でどんな自動車でも運転出来ますが今まで運転手になる試験には一回も行っておりません。それと言うのは文字が書けないからです。

38・6・8.私が海老沢きく江に手紙を出した事が十回くらいありますがこの手紙は自分が書いたのではなく板橋に嫁に行った姉さんの婿さんに当る石川仙吉さんに書いてもらって出しました。私は手紙は書けないし読めないので、きく江さんから来た手紙は読んでもらったり返事を書いてもらったりしていたわけです。

38・6・9.私は、報知新聞を見たことはありますが、競輪の欄だけしか見ません。それも前日の競輪でどんな組の番号のが多いかを見るだけで競輪選手の名前等は読めませんし、見ようとも思いません。

   前日の競輪で配当の多かった番号の組合せが例えば5-6だったとすればその日競輪で選手の事など構わずに5-6の組合せの車券を買っておりました。それで、競輪の予想屋に金を払って聞いたこともなく、選手の名前を覚えていてその選手の組合せを買うような事はしませんでした。

   私はそのほかに新聞を何回か買ってみた事がありますが、記事を読むことはなく、テレビの番組を見るために買っていました。そのほかに、石田さん方に居る時、平凡という雑誌を買ったことがありますが、私は平凡を読む心算(つもり)ではなく、女の写真等を見る心算でした。しかしその雑誌は本屋から買って来て、袋に入ったまま戸門の家にくれてやりました。

   石田義男から自動車免許をとるための本を一冊借りたことがあります。その時は義男が、これ読んで試験の時は◯・✖️を付ければいいから読んで見ろと言って貸してくれましたが、私はそんな本は読めないのでそのまま持っていましたが、どうなったか判りません。』

                                            *

問=「君は、子供、命、西武園、池、刑事、知る、友の漢字を書けるのか」

答=「私はそんな漢字は書けません。しかし誰かが書いていて見せてくれれば真似て書くことくらい出来るかも知れません」

問=「住所、氏名は漢字で書けるのか」

答=「それは書けます」

問=「君が東鳩で野球をした時にもらったタオルに月島食品工業株式会社、と書いたものがあったか」

答=「字が読めないからそういうのがあったかなかったか判らない」

                                            *

次回、"(二)当審公判における被告人の供述より"へ進む。

   上の写真は昭和三十八年五月一日に被害者宅へ届けられた脅迫状であり、下の写真は石川被告が逮捕されたのち書かされた脅迫状である。こちらは上の脅迫状を手本に被告が練習させられたのちに書かされたことが判っているが、七月二日との日付が確認できるこの脅迫状の字体を見ると、とても両者の文章を書いた者が同一人物だとは思えない。

   石川被告は取調官の強要により脅迫状の原本を手本に何度もこれを書き写しており、したがって本来であれば捜査当局が目指した「脅迫状の筆記者は石川」との筋書きに合うはずであったが、事実として、届けられた脅迫状と被告の書いた脅迫文とはその字体や筆勢に明らかな乖離が見られ、むしろ石川被告が事件とは無関係であることを明らかにしてはいないだろうか。