【狭山事件公判調書第二審4146丁〜】
『自白論』
♢自白を強要し、これを維持するため如何なる手段がなされてきたか♢ 弁護人 稲村五男
*
"三、捜査官も、「自白」強要、維持手段のすべてを否定しさることはできない"の(二)。
長谷部(警察官)は、当審第五十一回公判廷において、
(1)、捜査本部で自分らが作ってもらった弁当を被告人に分けてやったこと。
(2)、湯呑み茶碗の匂いを嗅いで被告人が触った茶碗を当てたこと。これに対し被告人が不思議がっていたこと。
(3)中田という字は紙を二枚で一ヶ所折れば中田と折れると、手品師みたいにやって見せたこと、
を証言している。
長谷部は警視で、青木、遠藤と共に取調べに加わっていたものの、自ら調書を作るわけでもないから手持ち無沙汰な時間がかなりあったと考えられ、この時間を利用して、弁護士批判や紙切りをしたであろうことは想像に難くない。
(三)、清水利一は、被告人が狭山署にいた頃の取調官であるが、
(1)、五月のうちに被告人に対しポリグラフをかけたこと(当審第四十四回)。
(2)、河本検事が机に腰掛けて被告人を取調べたこと(当審第四十四回)。
(3)、取調べの際、手錠を外さずほとんど片手錠であったこと(当審第四十七回)。
(4)、再逮捕される二、三日前に、長谷部、遠藤、山下、清水が被告人と記念写真を撮ったこと(当審第四十七回)、
を証言している。
(四)、青木(警察官)は、
(1)、六月十八日、山下にとって代わって取調べに加わるようになったものであるが、取調べにあたり「青木一夫という者で君と同じ一夫という字を書くのだが、これから調べに当たる。同じ一夫ではあるし、よく覚えておいて欲しい」「同じ一夫同士であるから一つ心を打ち明けて話そうではないか」と言ったこと。
(2)、取調べは「早い時で朝八時半頃、夜遅くなった時で十時をまわる。夜の十二時過ぎたということもあるかもわかりません」(当審第七回)ということ。
(3)、長谷部が「何か紙を切ったりしてやったこと」並びに「時おり、そのところはこういう風に、考え違いをしているのではないかということで口を出した」こと、(当審第五十二回、六回)を証言している。
(五)、遠藤(警察官)は、
(1)、取調べは片手錠のまま行なわれ、両方とも外したことがないこと(当審第五十六回)。
(2)、被告に対し自分らと同じ食事を与えたこと(当審第五十六回)。
(3)、被告人質問
被告人=「川越に移されてからですが、長谷部さんが湯呑み茶碗を、匂いを嗅いで当てたことがあるでしょう、六月二十六日です。そのとき遠藤さん、長谷部さん、青木さん、私の四人でお茶を飲んだあと、石川、茶飲み茶碗に触ってみろ、五分間ぐらい外に出ていて必ず当ててみせる、と言って当てたことを覚えているでしょう」
遠藤=「そうですね。あの人はいろんなことをやったから」
被告人=「そのちょっと前に、長谷部さんが二枚の紙を重ねて一ヶ所を切って中田善枝さんの中田という字の形にしたことは覚えているでしょう」
遠藤=「あるいはあったかも知れません。ないとは言えません」(当審第三十一回)
ということを証言している。
この遠藤の証言からしても長谷部が、様々なことをして被告人に捜索官は絶対者で信頼するにしくはない(原文ママ)と思わせたことは明らかである。
(五)、霜田(浦和刑務所区長)は、被告人を訪ねて浦和刑務所に原検事が一、二回来たこと、そしてそして五、六分くらいして帰って行ったこと、原検事が関と一緒に来たこと、並びに関だけが面会に来たこと、を証言している。
また、安藤は浦和刑務所の教育課長であるが、被告人に対し、原審第一回公判前と、原審十一月十一日の公判(十一月十三日、第五回公判のことと思われる) 後の二回にわたり「数を数えればよい」旨言ったことを証言している。
これらの証言は、捜査権力が被告人に「自白」を維持させるため暗躍したことの一端を窺わせる証拠である。
*
弁護人=稲村五男の弁論は以上である。
次回、弁護人=松本建男による「筆跡をめぐる諸問題」へと進む。
*
○「長谷部がした様々なこと」を理解する手助けになるかどうか、事件について書かれた漫画を見てみよう。
四点の写真は「劇画 差別が奪った青春 :実録・狭山事件」(部落解放研究所・企画・編集)、監修・朝田善之助より引用。
この本を監修した方は当時、部落解放同盟中央執行委員長を勤めていた。したがってこれを単なる漫画と捉えてはならない。表現上のミスは命取りとなりかねず、本書の執筆者は相当な情報を得た上でそれを精査し漫画化していると思われるからだ。こう考えると四点の絵は意外と真実に近いものなのかも知れない。
巻末に目をやると激励先が載っていた。東京都葛飾区小菅1-35-1東京拘置所内 石川一雄様。対して抗議先は東京都千代田区霞ヶ関1-1東京高等裁判所第四刑事部内寺尾正二裁判長殿とある。当時は不思議と皆熱い気持ちを持っていたのであった。