【狭山事件公判調書第二審4151丁〜】
『筆跡をめぐる諸問題』
弁護人=松本建男
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(二) 当審公判における被告人の供述より。
第二十四回公判(42・5・16)戸谷鑑定人の尋問に対し、
戸谷=「被告人=「被告人がいつも家で使う鉛筆とか、ボールペンとか、万年筆とかいうものは決まっているか」
被告人=「うちで字を習うのは、選挙に行く前くらいで、あとは字を書いたことはありません」
戸谷=「選挙に行かれる前に、自分のうちで候補者の氏名を練習していたのか」
被告人=「そうです」
戸谷=「あとはうちではほとんど字を書いたことがなかったのか」
被告人=「そうです」
戸谷=「すると字を割合に書かれたのは字を習った十五才くらいの頃か」
被告人=「そうです」
戸谷=「被告人が読んでいたものは主にどういうものか」
被告人=「時代物のチャンバラが載っている本は読んだことがあります。そのほかは漫画くらいのものです」
第三十回公判(43・11・14)
(二〇九五丁の図面を示されて)自分は前はこういう「あ」という字を続けて書けなかったのです。書けないから構わず変な「あ」を書いちゃったら、こういう風に書くんだと怒られました」
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(三) 被告人の筆記能力に関する第三者の供述。
○第十四回公判(41・3・8)、森脇聡明(浦和刑務所看守で三十八年七月九日から三十九年四月三十日までの被告人の在監中、直接担当係であった人)の証言。
問=「あなたは石川君がどこかへ手紙を書きたいというような時に、石川君に字を教えてやったりしていたんじゃないですか」
証人=「はい、してやりました」
問=「よく、そういうことがあったんでしょう」
証人=「はい」
問=「文章のほうも、こういう風に書けばいいんだというようなことは、石川君に教えてやったことがあるでしょう」
証人=「はい、あります」
問=「石川君は手紙を書く度にあなたに相談してましたか」
証人=「はい、してました」
問=「石川君は字をよく知っておりましたか」
証人=「あまり知らなかったんじゃないかと思います」
問=「初めの頃はむしろ、石川君がこういうことを言いたいんだがということをあなたが聞いて文案を書いてやって、それを写していたんでしょう」
証人=「石川被告の言ったことを、私が書いてやったまでです」
問=「そのあなたが書いたやつを、石川君がそれを見ながら、葉書なり便箋に書くと、こういうことをしていたわけですね」
証人=「そうです」
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○安藤義祐(浦和刑務所教育部長で被告人の在監中、教番の立場で終始接触していた人)の証言。
『それから私感じましたことは石川君は字があまり、まあ義務教育を十分修了していないと聞いておったもんですから、本人に対して最初書籍の差入れがなかったもんですから、役所の官本から適当なものを私が選びましてこれを所長に見せまして入れておいたわけでございますが、本人が非常に読書欲が強うございまして、最初は漫画めいたもので読みやすいものというので、私どもの方で与えておりましたが、だんだん本をたくさん読むようになり難しい本をもこなすようになったので、私は楽しみと申しますか、期待をもって、だんだん程度の高い本を入れるように致したことを憶えております。その当時、向学心が強く、確か彼だと思いますが、字もしっかり書きなさいということで、ペン習字をする"いろは"と書くのがあるんですが、それを間接的に私は与えたように憶えておるんですが、そういうことを見まして本人が非常に字がしっかり書けるようになったことを楽しみにしたことがあります』
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○第二十八回公判(43・9・24)、霜田杉蔵(被告人在監当時の浦和刑務所拘置区長)の証言。
『まあ失礼な話だが、石川君当時はあんまりそう本を読むとか書くとかいうことは、あんまり達者ではありませんでしたので、できればマンガのような本を与えておりました』
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(四) 被告人の学校時代における国語能力について。
被告人の入間川小学校における学籍簿成績表(磨野久一鑑定書添付の資料)によると、一年から六年までの出欠日数は左記のとおりであり、且つ、四年、五年、六年における国語の成績は「聞く」「話す」「読む」「書く」「作る」の五項目につき、(「聞く」の五年の成績がマイナス一であるのを除き)全部マイナス二の評価をされており、最低の成績であったことを示している。
(続く)
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写真は昭和三十八年五月二十一日付・石川被告による上申書。

