(入間川河川敷に住む猫たちにはそれぞれ餌を配達してくれる方々がおられ、彼等は無事に安らかに日々を過ごしているようである)
【公判調書3650丁〜】
「第六十六回公判調書(手続)」
"弁護人の異議に対する検察官の意見"
山梨検事
当審第六十五回公判期日における弁護人の異議申立てに対し、該異議申立てにかかる、腕時計に関する鑑定請求、および、証人=犬竹幸、同小島朝政・同石川六造・同増田実太郎・同内田春吉に対する各尋問請求については、昭和四十五年六月十七日付および昭和四十七年五月十日付各事実取調請求に対する意見書をもって陳述したとおり、いずれも取調べの必要は無いものと思料する。よって、右各請求を却下する旨の決定に対する異議の申立ては、すべて理由が無い。
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裁判長
当審第六十五回公判期日における、宇津弁護人の、事実取調請求却下決定に対する異議申立てを棄却する旨の決定を告知。
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○上に続き、調書の冒頭には以下のような「意見」が記載されている。
『筆跡鑑定に対する検察官意見』
三通の筆跡鑑定書は、何(いずれ)も極めて簡単な抽象的なもので、鑑定書というよりは意見書である。然(しか)し、兎(と)にも角(かく)にも文書の鑑定であるから、一体対象した物件は何かと検察官は弁護人に鑑定資料として何を渡したか先(ま)ず尋ねた。それというのもあまり抽象的な論述で一体どの程度の資料に基づいて判断を下されたか疑問としたからで、その理由は段々と述べるが、例えば脅迫状はボールペンで書かれ、一方上申書は鉛筆で書かれている。ボールペンか鉛筆かの用筆上の差異は判断上大きな作用を及ぼすが、三鑑定ともそれに触れたのは何もない。僅かに綾村鑑定は所謂(いわゆる)筆と対比した意味での硬筆ということで一(ひ)とまとめに片付けている。弁護人の回答でそれはリコピーだということであるが、リコピーにも程度の良否がかなりあるが、それはさておきリコピーであれば、ボールペンか鉛筆かの識別が出来ないのも当然である。
磨野、綾村鑑定で横書きの問題を何か重要なものの如(ごと)く取り上げ、特に磨野鑑定では小学校では横書きの機会が少ないので、小学校五年修了程度の学力能力を有するものの記述したものとは考えられないとしている。
然(しか)し、之(これ)も現物をみて頂ければ、はっきりすることで脅迫状は大学ノートを破った紙面であり、横罫紙が入っており、その罫に従って自然に横書きしただけのことで、一方上申書は全くの白紙で之(これ)は縦書きの上申と書きかけてやめた痕跡からみて多分警察官から伝われて脅迫状と対比するためのものであるので、横書きしたとみるべきもので横書きと伝うことに特別の意味づけのないことは綾村氏自身も指摘するところである(同鑑定三丁裏)。
磨野鑑定は上申書は右の方は書き進めるに従って下降しているが之(これ)は書き慣れていない場合その傾向があるが、脅迫状にはそれがないと伝っているが、之(これ)は要するに脅迫状の用紙には罫が入っており、上申書の用紙には入っていないからそうなるだけのことである。綾村鑑定は「書き慣れない者が書くと横線に注意して文字の下が線上に来ないつまり文字が浮くのである。熟練者が書くと下の線が揃う、たとい拙(つたな)い文字で書いても文字の行が一線に整うてみえるものである。脅迫状の例がそれである」としている。然(しか)し、脅迫状をみればその間違いであることは明らかで、綾村氏がどの程度現物に近いものを見せられたか極めて疑問とするところであり脅迫状の文字は正に罫と罫の間に浮いているのである。
又、綾村鑑定は書き慣れたものは一字あけて書き始めるとか、初心者ははじめから頭を揃えて書くものだとして脅迫状と他の資料と比べて明白だと伝う。然(しか)し現物をみては脅迫状がその前者に当るのか後者に当るのか必ずしも明白とは伝えない。
次に綾村、磨野両鑑定が取り上げている問題に脅迫状と上申書との書く早さ、筆勢、筆力の問題がある。この問題は後にもふれるが筆跡鑑定の固有の問題で何も目新しいことではなく、既に提出されている関根、吉田鑑定書、長野鑑定書、高村鑑定書、或(ある)いは不同意の為提出出来なかった遠藤鑑定書など伝(い)わばすべての筆跡鑑定人ならば必ずふれる問題である。例えば関根、吉田鑑定では
「筆勢の差異は同一人で通常生ずる許容範囲内かどうかの問題」
長野鑑定では
「筆勢の優劣は同一人と伝えども書字時の心理的、生理的条件に特に影響される場合が多く上申書の如(ごと)く強力な筆圧を加えて書いたため、運筆に円滑性を欠きその線条にふるえを生じた場合は筆勢に差異を生ずる場合がある」
とし、不同意で提出出来なかった遠藤鑑定では
「脅迫状と上申書との筆圧の違い、結構の一部の変則は脅迫状はペンの比較的上の方をもち、文字を省略して書いている。上申書は鉛筆の下の方を待って字体をあまり省略せず正しく書いていることによって生じたものである。字体を省略すれば、その文字は円味を帯び運筆が早くなり筆圧は軽くなり、字体を省略せず正しく書くときは、その文字は角ばった表現となり運筆は遅く筆圧は強くなる。又字体を省略して表出する場合は省略しない文字に比(ひ)し必然的に結構に変則が起生する」
と述べており、何も本鑑定人らにおいて特に目新しい問題ではなく本鑑定人のように文書を通覧するだけ、或いは個々の文字の検討を捨象(しゃしょう)するというのではなく、一字一字の分析検討において特定個性の範囲を逸脱するかどうか綜合判断しているのである。
又綾村鑑定は脅迫状の挿入文字が左手で書いたものであるというのも極めて短絡的な判断で書字時に使用した器具、台の性質、高低によって生ずる変化を鑑定人として当然考慮しなければならない。
(長文ゆえ、次回へ続く)
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○控訴審では石川一雄被告に無期懲役の判決が下されたわけであるが、その決定を構築する部位として、こうした検察官の意見も当然裁判官は採用したであろう。