【公判調書1328丁〜(10/21)】1326〜1327丁が落丁しているので、十通目の供述調書=昭和三十八年六月九日付は途中から引用となる。
〜海老沢は本年一月頃死んだと言う話しを聞きましたが葬式にも墓参りにも行った事は有りません。私はその頃他にスケ(彼女)が居たからで別に悲しみもしません。そのスケ(彼女)の事は言う必要がないから話しません。
(四)次に、水村正ちゃんという自動車の修理業をしている人に、東島が高橋良平の単車を破損して修理代が三万円以上も払ってなく、私が仲に入ってその修理代を東島に払わせると言ったので、水村さんの奥さんが私の処へ請求に来たのは選挙の日で、私が川本やすしと投票に行く前の事ですから四月三十日午前十時頃でした。この時は東島の処へその話しをしに行きませんでした。
(五)次に、五月一日の手紙の事について又お尋ねですが、私は手紙を書いたり、持って行ったりした事した事もなく、五月二日の晩、佐野屋の前へ金を受け取りには行きません。二日の晩、刑事さんは何故その犯人を捕まえなかったか、その時捕まえて仕舞えば世話はなかったと思います。石川一雄
右のとおり録取して読み聞かせたところ誤りのないことを申し立て署名指印した。
狭山警察署助勤 刑事部第一捜査課 司法警察員警部 清水利一 立会人 司法警察員警部補 遠藤三
本文でも触れている佐野屋周辺を観察に行く。堀兼地区に到着し、早速写真右隅を注意深く見ると・・・
シャッター付き建屋があり、概ねこの辺りに佐野屋が存在していた。さらに接近する。
先ほどのシャッター付き建屋から数十メートル左の地点、白いトラックがいる辺りが、本日の観察対象である。緊張しつつもさらに接近。
中央やや右奥に電柱が見えるが、この電柱から左側数メートル以内、そしてもう少し畑に分け入った所が犯人が現れた場所である。緊張のあまり呼吸が苦しい。
月夜の晩、垣根の向こう側で犯人は息を潜めていた。その犯人の指示通りハンカチに包んだ身代金を持ち被害者の姉が近づいたのは、右側数メートルの地点であった。なおこの写真を撮影直後、私は自転車ごと転倒し、道ゆくファミリーカーの嘲笑の的になる。場所が場所だけにこんな所で目立つことは御法度であり、某圧力団体が駆けつける前に必死で逃走を図る。