アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 484

【公判調書1594丁〜】

「現場足跡は偽造された」                               植木敬夫

一、足跡と自白は一致しない

われわれはまず、その出発点として、本件の足跡とそれに関する自白との関係の問題から入っていきたい。

(一)昭和三十八年五月二日の夜、正確には三日午前〇時十分頃、本件の犯人は佐野屋附近に身代金を受取りに来た。これは現在のところ争いのない事実である。そして警察は、彼らにとって万金と思われた張込み体制を取っていた。しかし、一瞬初動が遅れて犯人を取逃がしてしまったという。これは「吉展ちゃん事件」の犯人をまんまと逃してしまったことに続く、いや、何しろ三十名もの警察官が張込んでいたのであるから、それ以上の大失態であった。そして、その翌日善枝さんは死体となって発見された。世論は警察の無能を一斉に非難した。こうした状態の中で本件の捜査が開始されたのである。

ここに五月四日午前十時から午後一時まで行われたという、佐野屋附近の実況見分の調書(巡査部長関口邦造作成)がある。これには、

(1).佐野屋から東方二十八.六メートル、県道から三.五メートル入った畑の中であって、且つ、西から続いてくる茶株の東端に「被疑者が印象したと思われる足跡一ヶが認められた」こと、

(2).佐野屋の東側二本目の農道を、県道から南へ百三十三.七メートル進んだ地点から、畑の中を西方に「十八ヶの足跡」があったこと、

(3).その農道を更に南へ進み、市道を越えて六十五メートル進んだ畑の中に、東へ三十メートルに亘って「被疑者の印象足跡痕」があったこと、

が記載されている。

このうち第一の足跡は、一審二審の検証において立会人の指示した、犯人の潜んでいたと思われる跡のあった地点の近くであるが、県道から入っていると云っても、県道と畑の間の溝を越えて畑にとりついたばかりのところで、むしろ畑の北端と言ってよい位置にある。

(二)さて、この五月二日夜の行動についての被告人の自白はどうなっているであろうか。

右についての自白は、六月二十四日、二十五日、二十六日の司法警察員調書三通ぐらいのもので、その内容も、どういうわけかひどくあっさりしたものである。それはよいとして、第一の足跡に関連する供述をみると、六月二十四日の調書には、被告人が潜んだのは県道から「十米くらい畑の中に入ったところです」と書いてある。つまり、実況見分調書記載の足跡の位置とははるかに遠く、両者は全然一致しないのである。そして右の三通の自白調書には、その夜の被告人の行動した道順を被告人が書いたという図面が添付されている。しかし、それはいずれも佐野屋の直ぐ東側の農道を行き来したことになっていて、これまた第二、第三の足跡とはまったく無関係の自白なのである。つまりこの自白が真実であるとすれば、実況見分調書記載の足跡は被告人のものではないことになり、また、その足跡が本当に犯人のものだとすれば、被告人の自白は少なくとも五月二日夜の行動に関する部分は嘘偽架空の自白であることになる。このことは明白な事実であって、これは自白の信用性の検証にとっても見逃すことのできない重要な事実である。しかし私は、ここでは右の事実を別の角度から採上げる必要があると考える。(続く)