狭山の黒い闇に触れる 15
昭和38年5月6日付の「奥富○二」に関する身辺捜査(狭山裁判 ・下 野間 宏著 岩波新書)によると、5月1日、入間川駅(現 狭山市駅)近くの勤務先を午後3時40分頃退社。翌5月2日〜3日は8時から5時まで勤務、同僚の話では「変わった様子はない」とある。そしてこの5月2日、3日のいずれかに新築中の家へ一晩泊まったことが明らかになる。ここで、別の資料に移り、4日、5日について調べると、両日共に会社を無断欠勤している事が判明する。そして迎えた6日に実家の井戸に飛び込んで自殺、直前に農薬を飲むという念の入った非業の死を選んだ。翌日7日には結婚式を控えていたという。彼の自殺は動機が不明であり、対して疑惑の対象としての情報、すなわち過去に被害者宅(規模の大きい農家)で作男(農作業)をしていた。新築の家はほぼ完成し結婚目前であった。5月4日、5日の無断欠勤など負の要因であふれており、現在でも狭山事件を語る時、影でその名が囁かれている。ところで狭山事件公判調書 第二審第5分冊-2673-を見ると、5月6日「奥富○二」自殺の報を知り捜査員が自殺現場である実家に向かい事情聴取、結果を刑事部長に報告している。肝心の自殺の原因はここでは明らかされないが、聴取に向かった捜査員自身が自殺に疑問を抱いていた様子が見てとれる。