アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 769

【公判調書2401丁〜】

                   「第四十七回公判調書(供述)」

証人=清水利一

                                            *

橋本弁護人=「記録によりますと、六月三十日に足立静江から被告人のジャンバーを一着領置したと、こうなっておりますが、記憶ございますか」

証人=「先ほど申し上げましたが、その点ちょっと記憶にございません」

橋本弁護人=「何か、あなたの先ほどの証言によりますと、この事件の捜査に関与した最後の日であるということですね。六月三十日というのは」

証人=「ええ」

橋本弁護人=「その辺のところから記憶を呼び起こしていただきたいのですが、つまりこの件に関与した最後の日に、あなたはそういうことをされたか」

証人=「ちょっと記憶思い出せないです」

橋本弁護人=「ジャンバーをあなたが見たという記憶はどうですか」

証人=「忘れております」

橋本弁護人=「足立静江から供述調書をとっておりますね、記録によりますと」

証人=「はい」

橋本弁護人=「六月三十日付になっておりますから、多分この日じゃないかと思いますが、思い出せないですか」

証人=「はい」

橋本弁護人=「六月三十日という日はどういう行動をとったか、飯能で事件が起きて、そちらへ派遣されたんですね。そういう日ですから、どういう行動をとったか思い起こせませんか」

証人=「川越の分室へ朝ちょっと行ったような気もするんですがね」

橋本弁護人=「それでは質問をちょっと変えますが、あなたは被告人を直接取調べして供述調書などを作成したわけですね」

証人=「はい」

橋本弁護人=「五月一日の事件のあった日ですが、当時の被告人の服装がどういうものであったかということについて質問しましたか」

証人=「おそらく聞いたでしょう」

橋本弁護人=「どういう答がありましたか」

証人=「聞いておることは間違いなく聞いておると思うんですが、ちょっと答までは」

橋本弁護人=「どういう答があって、それをどういう風に調書に記載したか」

証人=「まあ先生の仰る通り、聞くのは確かに聞いていると思いますが、ちょっと思い出せないんですが」

橋本弁護人=「記録を見ますと、ジャンバーを着てジーパンをはいて、長靴をはいておったと、およそそのような服装だということですが、ジャンバーを着ておったと言われたことは記憶してないですか」

証人=「ちょっとそういう細かいことは記憶にないんでございますが」

橋本弁護人=「じゃ、質問を変えますが、ジャンバーをあなたが自ら手に取ったという記憶はないですか。この捜査に関与している期間に」

証人=「思い出せません」

橋本弁護人=「記憶にないんですか」

証人=「はい」

(続く)

                                            *

ここで、尋問を受ける証人=清水利一の過去に少しだけ触れてみよう。

狭山事件発生よりさかのぼること八年前。昭和三十年に熊谷事件が起きている。結論から言えばこれは冤罪事件であり、真犯人は逮捕され、誤認逮捕された青年Tは釈放、のちに刑事補償を受けることとなった。

この誤認逮捕された青年Tの取調べを清水利一らが行っていたわけだが、その取調方法が問題となる。

『問題は、刑事補償で片付くものではない。なぜ、無実のTがウソの自白をさせられたのか。埼玉県弁護士会では取調べの際に"柔道を教える"などの拷問があった点を重視し、特別調査委員会を設けた。

昭和三十二年三月二十二、三両日、浦和地裁に熊谷署長の警視奥富忠七、加須署次席になっている警部清水利一、川越署の係長になっている警部江利川正一ら九人を召喚して、事情を聴取した。しかし警察官は口をそろえて、"暴行など拷問を加えたことはなく、自白を強要した事実もない"といっさいを否定した。Tもこの委員会には立会ったが、"暴行されたが、どの警察官がやったかは記憶にない"といったような発言をしただけなので、警察側に有利な展開となる。

浦和地方法務局でも、調査をおこなっており、暴行の点は不明ながらも、誘導尋問と自白の強要はあった疑いが濃いとして、県警本部に取調べにあたった警察官の処分を勧告した。埼玉県警本部長は、"暴行の事実はないが捜査の過程で適正を欠いた点はあった"との談話を発表する。

昭和三十二年六月十二日、埼玉県弁護士会は、弁護士総会の決定にもとづいて、四人の警察官を告発した。刑法百九十五条の特別公務員暴行容疑で、浦和地裁に告発手続きをとり、警部清水利一、警部江利川正一、警部補野本定雄、巡査部長八角正明の四人が、拷問暴行で自白を強要したという内容であった。

浦和地裁では、告発状を受理して捜査をおこなったが、そのような事実はなかったとして、不起訴処分にする。

八月十五日、埼玉県警本部は大幅な人事異動を発令した。本部長は、"熊谷二重逮捕事件の責任問題も慎重に考え、奥富署長には第一線から退いてもらった"といい、熊谷署長の警視奥富忠七は、警察学校長になったのである。

弁護士会から告発された四人の警察官には、とりたてて処分がなされたわけではなかった。加須署次席になった清水利一の例では、昭和三十五年に大宮署捜査一課長、三十七年には県警本部に戻って捜査一課長補佐になって、狭山事件直後の昭和三十八年八月には警視に昇進して岩槻署長に就任している(ドキュメント 狭山事件佐木隆三著より引用)。』

熊谷事件という冤罪事件に関与した前歴をもつ清水利一。その類稀な才能を再び狭山事件においてもいかんなく発揮していた可能性は否定できないであろう。