「検証・狭山事件 伊吹隼人著」第五章には、当時山狩りに参加した消防団員S氏の証言が記載されている。
"被害者の鞄は遺体発見現場そばの茶垣の根元に置いてあった"
"鞄は機動隊の人に渡した"
消防団員S氏は山狩りを遂行中、茶畑でこの鞄を見つけたことにより、にわかに注意喚起を促され、付近を注視した結果、地表面に違和感を放つ農道が目に入り、これはその後、遺体発見へとつながってゆくのである。彼はこうも証言している。
"自分たちは、死体の埋まっている跡に気づかないでいっぺんその上を通り過ぎちゃってるんだ。もしそれ(鞄)がなかったら、後戻りしようなんて気が起きるはずないし・・・"
そしてこの情報は事件当時も、本書の消防団員への取材時も、特に弁護側に知らされることもなく、著者による消防団員S氏への個人的な質問にとどまっていると思われる。
もし警察側が石川被告の自白以前に、すでに鞄が入手出来ていたとなると、これは恐ろしいことである。
(山狩りの模様。写真は"無実の獄25年・狭山事件写真集=部落解放同盟中央本部中央狭山闘争本部・編、解放出版社"より引用)
【公判調書2387丁〜】
「第四十七回公判調書(供述)」
証人=清水利一
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石田弁護人=「ところで、その場所ですがね、すでに五月上旬に山狩りされた場所であることはご存じですね」
証人=「あの辺は機動隊をいれまして全部山狩りはしたんです。何回もやりました」
石田弁護人=「何かおかしいという感じは持ちませんでしたか」
証人=「いや、草が茂ってそこのところに泥があったから、溝の上ですから、おかしいことは別に思いませんでしたね。自然に、何かちょっと見ちゃ分からなかったですから」
石田弁護人=「六月になれば木の葉などは大きくなったり伸びたりしますが、五月の上旬はまだ初々しい新緑の頃で、出始めの頃で、そんなに茂った状況にはなかったような気がするんですがね、機動隊が捜索した頃には」
証人=「事件勃発当時は麦もやっと穂が今よりちょっと早い頃ですから、出揃う頃、新緑で鞄を見つけたのは、六月のいずれにせよ二十日過ぎだと思います」
石田弁護人=「六月の時期から較べれば相当早い時期ですからね。機動隊の捜索した場所だと、山狩りというものが行なわれた場所だということを思い出して、何かおかしいなという不審な感じをあなたは持ちませんでしたか」
証人=「まあ私どもが考えてみますと、機動隊は捜査員ではないわけです。従って言われた場所をこの辺からこの辺まで捜査しろと、ずっと見て歩く、いわば頼まれ仕事で、そういうような者が、徹底的な捜索があとから言えば出来なかったんではなかろうかという風に考えます」
石田弁護人=「頼まれ仕事みたいなものだから、あまり熱を入れなかったのではないかと、あなたは考えたというわけですか」
証人=「まあ、いつの事件でもそうなんですが、機動隊とか何か、大勢使いますが、あまり実があがったことはないわけです、刑事のようなわけにはいきませんし、限りある刑事を毎日捜査に使うわけにはいきませんから、ああいう、広い場所になると機動隊を使うことになるわけです」
石田弁護人=「山狩りには、機動隊だけではなくて警察の中から、いわゆる捜査畑の警察官とか、あるいは民間の消防団などの協力とか、そういう人たちがいろいろ組み合わさって行なわれたんではないですか」
証人=「大体外勤のお巡りさんと消防団とか、大体指揮は機動隊長が全部責任を持ってやれということで捜査本部長から指示を受けまして機動隊長指揮でやったんです」
石田弁護人=「でも、相当大勢の人数を動員しての山狩りだったですね」
証人=「大勢ですけれども、あそこの土地というものが非常に山が多いところですから、私ども考えるのに、限りある五十人や六十人の捜索人を入れても、そうえらい徹底したことは出来なかったという風にも考えます」
石田弁護人=「しかし、ゴム紐が発見されたということは知っておりますね、あなたは」
証人=「ええ、聞きました」
石田弁護人=「それは山狩りによって発見されたのでしょうか」
証人=「そうですね」
石田弁護人=「すると、機動隊も捜査能力があるということになりませんか」
証人=「まあ、全然ないとは言わないですが。機動隊が発見してくれたものもあったんですから。しかし鞄というものはああいう状況で、やはり捜索の手が届かなかったんではないかと私は思うんですが」
(続く)
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「検証・狭山事件 伊吹隼人著」=P.157には「被害者である中田善枝さんの鞄は死体発見現場より北東約四百〜五百メートルの地点にある溝の中から発見され、しかし、いずれも事件直後に山狩りが行なわれている場所であり、鞄がすでに別の場所で見つかっていることも明らかであるため、これらはすべて警察のねつ造によるもの、と考えられている」との記載がある。鞄が別の場所で見つかっているとの根拠として、著者は前述した消防団員S氏の証言を挙げているが、私が公判調書第二審に目を通した限り、2387丁までにおいてその様な記録は見当たらず、つまり、鞄が別の場所で見つかったということは裁判記録上、明らかではないのである。
この本の著者が取材後、消防団員S氏の証言を弁護団に伝えていたならば、狭山裁判はまた違った展開を見せていたかも知れない。